戻るっ 前へ

第9話 天使の歌声

その歌声らしき声は西の河原から聞こえるようだ。
河原へ行くにはこの林を抜ける必要がある。小さい頃に何度も訪れたのでよく分かる。
うみをおぶって行ったことさえあるうなには、無いはずの道が見えているようだった。
しかし、他二人には道が分からないということをすっかり忘れていた。
忘れ物に気付いた頃には、既にそこにはいない。
うな 「あーあ…、迷子かよ。」
この場合はどちらが迷子なのか…
そんな事を考えている場合ではないのに考え込んでしまう。
そんな時、彼の耳にまた歌声が聞こえた。今度はかなり近くにいるようだ。
少し進んでみると、歌声の出所に辿り着いた。
一匹の桃色の兎が、川辺に座って歌を歌っている。
うな 「あれ…誰だろう?この歌…いや、歌声って……」
川を見つめて儚げに歌う姿には神秘的な美しさがあった。
その歌はうなの知らない歌だった。うなの母に教えられた歌はほんの僅かだが。
うな 「なんだろう、この懐かしい感じ…
    ずっと昔に聞いたことがあるような気がする…」
その時突然、うなの目の前の景色が変わり始めた。
木々は縮んでは現れを繰り返し、地面の色は目まぐるしく変化を繰り返す。
空には激しく瞬くように光と闇が巡っていく。
うな 「な、何だ!!?」
そして、うなの体に纏うように滑る激しい風。その風は宙に浮くような感覚を呼び込んだ。
気がつくと、川辺にいたはずの兎もいなくなっている。
うな 「消えた…? どうなってるんだ?」
変化は止まって静かになったが、元に戻ってはいない。
周りを見渡しても林ばかり。もはや道は思い出せない。
分かるのは方向だけ。訳の分からないまま、道無き道をまっすぐ進んで村へ向かう。
途中、すいか帽とかるびに会うことはなかった。


村の入り口に辿り着いたうなだったが、今ひとつすっとしない物が残る。
記憶の中にある村の様子とは少し違う…気がする。
視界を歩いているのも見たことのない兎ばかりである。
うな「あれ…村間違えたかな?」
ふと見ると、見たこともない下り梯子を見つけた。
…ここは紛れもなく地面の上。つまりその下は…
うな「地下…なのか?」
何の変哲もない兎の村の地下に地底人でも潜んでいるというのだろうか。
やはりこの周辺は先程までいたノリエットの村とは別の村なのかもしれない。
疑念を拭い去りきれずに降りてみるうな。
中は真っ暗闇だが、長い通路が奥へ伸びているのが分かる。
うな「意外と奥まで続いてるなー…」
どれだけ進んだだろうか。暗闇の中に扉を見つけた。
洞窟に…扉。人為的な開発の証。やはり地底人…?
ここまで来てこれを開けない手はない。
扉を開けると、鼻を圧迫するような匂いが立ち込めてきた。
??「ん?何じゃお前さんは。」
うな「お前に聞きたいよ。」
怪しげに光る眼鏡。そして白衣。その男の後ろには、見慣れない形の器が並んでいる。
いわゆる科学者…外見相応に博士とでも呼ぶべきだろうか。
博士「ワシは偉大なる悪の科学者じゃ!
   今、うさぎの生態について研究しておるのじゃ。
   お前さん、ワシの研究を手伝ってくれないか?」
自分で偉大とか悪とか言う。
それだけならまだしも、それに荷担しろと…この男はそう言った。
うな「悪の科学者なんだろ?悪いことは手伝えないな。」
ツッコミを入れたい気持ちは山々だが、バックに輝く科学の産物への恐怖心が勝っていた。
博士「なに、大した事じゃないんじゃ。」
そう言って、どこからともなく奇妙な形のガラスの器…つまりフラスコを取り出した。
博士「ここに、うさぎになる薬がある。
   この薬でうさぎになって、うさぎの村で暫く暮らして欲しいんじゃ。
   それで、うさぎの暮らしぶりを調査して欲しいんじゃ。」
うな「なにー!うさぎになる薬あるのか?くれ!絶対くれ!」
博士「じゃあ、ワシの研究を手伝ってくれるんじゃな。」
ハラミ肉の姿にされてしまって諦めかけていたが、兎の姿に戻る手段が目の前にある。
もううなの瞳に善悪など映らない。いや、目の前にいる博士こそ『善』に見える。
うな「ああ、手伝う!」
博士「では、お前さんに薬を渡そう。飲んでみなされ。」
うな「こ、これでうさぎに戻れる!」
ビーカーを受け取った直後、その中の液体は口に流し込まれた。
…何とも言えないまったりとした舌触り。舌の上で弾け、引っかかるような喉ごし。
味わっている内に、体から白い煙が噴き出し……
ハラミ肉は兎になった。
うな「うさぎに戻れたー!」
小躍りするうな。
夢にまで見た青い体に長い耳。そして久しぶりのこの動き心地。
今なら何でも出来るような自信が満ち溢れてきた。
博士「よし、じゃあ、この先にうさぎの村があるんじゃ。早速向かってくれ。」
うな「おお!行って来るぜ!」
うなは脇目も振らずに洞窟を駆け抜けた。


うな「…ふぅ。」
梯子を上り、地上に出たうな。
うな「うさぎに戻れたことだし、家に帰ってちょっとゆっくりするか。
   …よし、家に帰るぞー! 寝るぞ! ゴロゴロするぞ!」
今の姿なら母親に追い出される事はない。妹によそよそしくされる事も無い。
??「おいお前、ちょっと待てよ。」
両手を上げてハイテンションに叫ぶうなを呼び止める声が入った。
見れば紫色の兎が、それもうなよりも一回りも大きいオスの大兎が立っていた。
大兎「なんだお前?見かけない顔だな。地下倉庫から出てきただろ。地底人か?」
うな「うさぎだ、うさぎ! 見て分かんないか?地底人のわけないだろ!」
やっとの思いで兎の姿に戻れたのに地底人呼ばわり。さすがに気が立ってしまった。
大兎「お前、生意気だな。キュッと絞めてやってもいいんだぞ。キュッと。」
相手の方も、いきなり突っかかるうなに敵意を顕にした。
うな「へぇ、俺に勝てると思ってるのか?キュッと絞めるぞ。」
火花でも散りそうな歯ぎしりと睨み合いが数秒間続く。
骨を鳴らす音が時間を刻んでいたが、すぐに向こうから別の声がかかった。
緑兎「おい、ぐりふ!パーティの時間だ。早く行こうぜ。」
大兎「ああ、もうそんな時間か。フン、命拾いしたな。」
声の主は薄緑色の小さいオス兎だった。
大兎は、これでもかと言うほど強く一度睨み付けてから踵を返した。

うな「嫌なヤツだなー。あんなヤツこの村にいたかなぁ?」
…またもうなの懐疑心をくすぐる光景が目に入った。
デブ&チビのデコボココンビの二匹の兎が向かう先にあるのは…
うな「俺の家だよな…?」
その道は見覚えがあった。自分の家に向かう道。
試しに二匹の後を追ってみたのだが、やはりうなの家へまっすぐ進んでいる。
そして、その二匹が足を止めたのは…
疑ってかかって正解だったようだ。
どこからどう見ても、どう考えてもうなの家。母親と妹がいるはずの家。
扉から出てきたのは…そのどちらでもない赤色のメス兎。
確かにどこかで見たような気はするが、自分の家から出てくるような兎ではない。
その赤兎は、先程『ぐりふ』と呼ばれていた大兎を見てぎょっとしている。
ぐりふ「なな、ちょっと付き合えよ。パーティ行こうぜ。」
赤兎 「いやよ、なんでアンタなんかと。」
ぐりふ「いいだろ、ちょっとだけ!」
…これはいわゆる痴話喧嘩?
自分の家で変な騒ぎを起こされては気分が悪い。
うな 「おい、嫌がってるだろ。やめてやれよ。
    ってゆーか、お前ら俺の家で何やってるんだよ。」
ぐりふ「お前はさっきの…俺に喧嘩売ってんのか!?」
ここで喧嘩を売らなければ、自分の家の尊厳が失われる気がした。そんな物は元から無いが。
うな 「だったらどうする?」
ぐりふ「キュッと絞めるぞ、キュッと。」
うな 「望むところだ。キュッだ、キュッ!」
向かい合って両手で"キュッ"を表現する二匹の兎。端から見れば奇妙でしかない。
ぐりふ「うらぁ!!」
間合いを取ることもせずにいきなり拳を振るう大兎。
うなはそれを軽くかわし、大兎の懐近くに足を踏み込み、その腕を引っぱる。
自分の突き出した拳に引きずられるように宙を舞う大兎。
そして、激しい音を立てて地面に突っ伏した。

ぐりふ「くそっ、覚えてろよ!」
巨体を引きずってのしのしと場を離れる大兎。
後ろから緑色の子分もついていく。こちらは戦ったわけではないのだが。
これでうなの家の尊厳は守られ……
赤兎「へぇ、あなた強いのね。ぐりふを倒しちゃうなんて。」
いや、まだ問題の片割れが残っていた。
うな「いやー、それほどでもねーよ。」
不快感を顔に出さないように作った自分の笑顔が見苦しい。見えないのに。
赤兎「ねぇ、あなた、見かけないうさぎね。名前教えてよ。」
うな「俺はうなっていうんだ。」
整った顔立ちのメス兎は積極的に話しかけてくる。
他人の家に無断で居座る兎の態度にはとても見えない。
赤兎「うな、良い名前ね。私はななっていうの。よろしくね。」
なな…その名前には聞き覚えがあった。
聞き覚えも何も、うなの母の名前。そう言えばうなの母も赤兎。
うな「(なんだか奇遇だなぁ…。でも、母ちゃんは太ってるけどな。)」
なな「どうかしたの?」
と、感心で言いそびれてしまってはいけない。
うな「で、俺の家で何してるわけ?」
なな「え?ここは私の家なんだけど?」
これはさすがに全くの想定外の反応だった。
うな「うそ、マジで?まさか、俺が旅してる間に引っ越ししたとか?」
なな「私、産まれたときからこの家に住んでるわよ。」
うな「…あれ?家、間違えたかなぁ。」
なな「くすっ、変な人。…お茶でも飲んでいきますか?」
うな「いや…いいよ。」
気のない返事をして、少しだけ歩いて立ち止まる。
自分の家にここまでそっくりな家が他にもあったとは…
さらには周りの地形もそっくり。まさか住む兎の名前まで同じとは…
黄兎「ねえねえ、そこのキミ、ななさんとどんな話してたの?」
うな「なんだ?」
考え事を邪魔する一匹の黄色いオス兎が現れた。
黄兎「ボクもななさんと話したいんだけど、話しかける勇気がないんだよね。
   どうしたらいいかなぁ?」
どうやら先程の赤兎のことが気になっているらしいが、こちらは構っている暇は無い。
うな「そんなこと俺に聞くなよ。」
黄兎「ああ、変なこと聞いてごめんね…。やっぱりボクじゃダメだよね…。」
急に暗いムードを漂わせ始める兎。
その時、後ろから声がかかる。
なな「あら、あなたは…うたさん?うなさんと知り合いなの?」
黄兎「えっ!? あ、えーと、その、うう…あう……えとえと、
   失礼しますっ!!!」
そう言うと黄兎は河原の方へ走っていってしまった。
…一体どこに逃げ込むつもりなのか。
だが、今はそんな事よりももっと気になることがあった。
うな「あいつ、うたって名前なのか?」
なな「そうだけど…?」
うな「で、お前はななって名前なんだよな。」
なな「…それがどうかしたの?」
目の前にいるのが『なな』…うなの母と同じ名前、同じ色。
先程の黄兎が『うた』…こちらはうなの父と同じ名前だった。
うなの父親は結婚した翌日に失踪した…らしい。
なのでうなは父親に会ったことはないが、まさか色まで同じと言うことはないだろう。
そこまで偶然という言葉が頻発するのはどう考えてもおかしい。有り得ない。

そこまで考えた時、うなの体に異変が起こった。
うな「あ、あれ。俺の体、なんか消えそうだぞ。」
体の色が薄くなっていく。それも、白ではなく透明に近づいている。
周りを見ると、さらに異変が…
会話の途中のはずのななが既に家の中に引き返している。
まるで居るのか居ないのかも分からなくなっているような…いや、そうではなく、
一人で考え事をしているので放っておかれたと考えるのが正しいか…
つまり、これはあまり関係ないのかも知れない。だが、この様子では…
うな「どうなってるんだ?博士に聞いてみるか?」
原因を考えて真っ先に思い浮かんだのがあの薬。
うなの姿を兎に戻した素晴らしい薬。
だがそれは、自称"悪の科学者"が作った謎の液体……
今更ながらぞっとした。本能的に身の危険を感じざるを得なかった。
うなは全速力であの地下へ降りて走った。

焦りが後押しして、あっと言う間に例の扉の前まで到着した。
そして、息が整うのを待たずに扉を蹴り飛ば…さずに開け放す。
うな「博士!!」
博士「おやおや、どうしたんだ?」
うな「俺の体が消えそうなんだ。どうなってるんだ?」
先程よりももっと色が薄くなっている。
しかも数秒ごとに、本当に向こう側がうっすら透けて見えてしまう程薄くなる。
うな「薬のせいなのか?それとも、ぐりふって兎と戦ったせいか?
   それとも、俺の母ちゃんと同じ名前のななって兎が何かしたのか?」
博士「!!」
支離滅裂な言葉しか出てこないうな。だが博士は何かに気がついたようだ。
博士「なるほど、これは…お前さんの存在がなくなろうとしておるぞ。」
うな「どうしてなんだ?」
博士「歴史が変わろうとしているんじゃ。
   お前さんの存在しない歴史が始まろうとしているんじゃ!」
うな「意味分かんねーよ。もうちょっと分かりやすく説明してくれよ。」
博士「いや、ワシにもよく分からん。
   例えば、結婚するはずのお前さんの両親が、
   実は結婚しないという歴史に変わろうとしているとか…」
うなはその仮説にドキッとした。
うな「俺の両親が結婚しない?
   …そう言えば、ななとうたって、俺の両親と同じ名前のうさぎがいたよな。
   まさか、ひょっとして、本当の俺の両親なのか?
   俺の両親が若かった頃にタイムスリップしてて、
   両親の出会いのきっかけを俺が壊したのか?
   どうしよう?ななとうたを結婚させないと!!」
博士「お前さん方の行動が歴史を変えてしまったんじゃ。
   変わってしまった歴史を元に戻すんじゃ。」
言うが早いか、うなは元来た道を走りだした。
いったい何がどうなって過去の世界に来てしまったのか…
いや、そんなことよりも、今は目の前の問題をどうにかしなければ。
兎の姿に戻ることが出来て浮かれていたのがいけなかったのか…。
あの時、ななをぐりふから助けたのは失敗だったのだろうか?
いや、あれは単なる人助け…その後でうたに適当な返事をしたのがいけなかったのだろうか。
確かうたはななに話しかけたがっていた。
もしやあの時自分が何もしなければ何とか話しかけることが出来たのだろうか。
しかし、先程のあの暗い顔…
ここは、自分が何とかしなければならないようだ。
でないと……消えてしまう…………

戻るっ 次へ