小さな怪物――ゴブリンたちのコロニーは、森の外、山の麓の川沿いに広がっていた。 小さく粗末な造りの家が点々と立ち並んでいる。 ゴブリンらしき姿があちこちに見える。 遠くには畑のような土地が見えている。……過去の人間の遺物だろうか。
四体のゴブリンに連れられて、
マーガレット、リカレンス、トール、カミキリムシの一行はコロニーに足を踏み入れた。
「あー……戻って来ちまったっすね……」
トールが呟いたが、誰も反応しなかった。
「おいら、あっちに行ってるっす……出発する時には追いつくっす……」
「ギーッ。護衛、続ける」
トールはマーガレットたちから離れ、どこかへ行ってしまった。 なぜかカミキリムシが後ろから付いて行く。誰もそれを気に留めていなかったが。
マーガレットはゴブリンたちに尋ねる。
「それで、人間というのはどんな人間なの? 男性なの?」
「女性っすよ」
答えたのは、森からずっと付いてきていたゴブリン。
トールよりもどこか年上のような風貌だが、背は若干低い。
「女性? 男性じゃなくて?」
「女性っすよ。何かおかしいっすか?」
「何人いるの?」
「一人っす」
「そう……」
「不安なんすか? 会えば分かるんすけど、良い人っすよー」
そう言って案内されたのは、コロニーで最も大きく造りも丁寧な、教会のような建物。
中に入ると大きな広間が見えた。数体のゴブリンが思い思いに会話や休憩を満喫している。
広間の隅にある扉から先へ進むと、広間に沿うように長い廊下があった。
「行商人さん、お客さんっすよ」
「あら、人間なんて珍しい」
ゴブリンが呼びかけた先には人間がいた。確かに女性。 スリムな体に似合わぬ豊満な胸がそれを声高に主張している。 年は見た所二十代後半。やや色黒な肌と厚い唇。頭の上でまとめた長い髪。肌を多く露出する色鮮やかな装束。 同性のマーガレットにもそれと分かるほどの色香を振り撒く風貌だ。 足を組んで木箱に座ったまま、こちらに笑いかけている。
久しぶりに人間を見たマーガレットは目を輝かせた。
「初めまして。こんな所で人間に会えるなんて嬉しいわ」
「ご丁寧にどうも。でもそんなに固くならないでよ。
あたしの名前はジャスミン。旅の行商人よ」
商人と名乗るだけあって、周囲のテーブルには商品らしき日用品や工具類などが並べられている。
……彼女の風貌だけはどう見てもダンサーか娼婦なのだが。
「私はマーガレットです」
「どこのマーガレットさんか聞いても?」
「まずご自分からどうぞ」
「言いたくないならそう言いなよ。可愛くないね」
そう言ってジャスミンは笑いかける。
マーガレットは並んだ雑貨に目をやった。
食器や常備薬などの日用品の他にも衣類や保存食などもある。
これさえあれば何年でも生活できそうな幅広い品揃えだ。
しかし取り立てて珍しい品は無い。マーガレットが持っていた行商人のイメージとは若干のズレがある。
「これが商品なの?」
「そうよ。好きなだけ買っていっとくれ。安物ばっかりだけどね」
「うーん……そうね、これを頂きましょうか」
貨幣は念のために少しばかり持ち込んでいたので、包帯や消毒液などを補充することにした。
危険な目に遭うことは最初から分かっていたが、こればかりはいくら用意しても足りないだろう。
貨幣と商品を交換し、それを荷袋の隙間に詰め込んだ。
「これはどこから仕入れているの?」
「王国からよ。具体的な場所は秘密」
人差し指を口に当ててウインクするジャスミン。
色っぽい仕草なのだろうとは分かるが、マーガレットには何の効果も無い。
「嘘よね? あの森をどうやって……? それとも海路? いや、それにしても……」
「うふふ。優秀なスタッフがいるのよ」
そう言うとジャスミンは廊下の奥に目をやった。
そこには天井まで届くほどの大きさの真っ黒な岩の塊が、ただ置かれているだけだった。
「……スタッフ? スタッフって言ったの?」
「そうよ。名前はソリッド。ゴーレムなの」
「ゴーレムって、それも伝承上の……」
「驚きよね。あたしも実在しているとは思わなかったわ」
ゴーレムと言えば、動く泥人形のこと。
そのような伝承もあったが、存在を信じている訳が無かった。
ゴブリンくらいならまだ認められる。
しかし魔術で動くと言われているゴーレムの存在を認めるという事は、魔術の存在まで認める事になってしまう。
魔女狩りの心配をするまでもなく、頭がついていけない。
「動かないみたいだけど?」
「今は寝てるのよ。あたしが命令するまでは起きないわ」
……あまり信じたくないので、何かの秘密を誤魔化すためのハッタリだと思うことにした。
「他にも質問してもいいかしら?」
「良いわよ。この国は初めてなんでしょう?
あんたの知らない事ばかりだったんじゃない?」
「ええ、ありがとう。ここにはあなたの他にも人間がいるのかしら?」
「この国にはまずいないだろうね。
あたしは職業柄、色々な場所の情報を持っているから、知らないだけって線も薄いわ」
――その答えは悪い知らせだったが、まだ全てが分かった訳ではない。
恐らく彼女は、ごく新しい情報までは網羅していない。そう思いたい。
「この国の王というのは、どこにいるの?」
「ここからずーっと北西に行った所ね。そこの大きな彼がよく知ってるんじゃない?」
「何で知ってるんだ……」
リカレンスは半ば呆れながらそう言った。
「聞いたわよ。あんた、この国の王に仕えていたことがあるんでしょ?」
「昔の話だ」
面倒臭そうに壁に寄りかかって外を眺めている。この話はあまり触れて欲しくないようだ。
だが、どんな事情があるにせよ、マーガレットにとっては迷惑な話だ。
抑えきれず、マーガレットは口を挟んだ。
「ちょっと、それならどうして王のいる場所に案内しないの?」
「お前には危険すぎる」
「承知の上だし、今でもかなり危険よ」
「俺の腕が治ったら人間の国に帰してやるから、大人しく帰れ」
「それじゃあ骨折り損よ。王に会わせなさい!」
「コネが無いと難しいんだよ」
「王に仕えていたのに? 無いなら無いで何とかしなさい」
リカレンスはあからさまに嫌そうにため息をついた。
「怪物の王に用があるのかい?」
ジャスミンは逆に興味を持ったのか、話しかけてきた。
「ええ。目的があるから」
「目的って?」
「……あなたを信用できるか分からないから教えられないわ」
「ふーん。よっぽど重大な事なんだねぇ」
素っ気無い口ぶりだが、その目はまだ興味を持っているようだ。
そう言えば会った時からずっと、マーガレットの頭から足の先までくまなく眺めている気がする。
秘密を持って対面するのは避けたいタイプだ。しかし情報は欲しい。
「怪物の王というのはどんな怪物なの?」
「確か、でっかいブタの怪物だね。ここの大広間と良い勝負よ」
「やっぱり凶暴なのかしら?」
「遠くから見ただけだけど、凶暴ではないよ。
それに部下たちはやたらと農業を広めたがっていたわね」
それはマーガレットの先入観とは正反対だった。
人間を襲うような凶暴な怪物。その王ともなれば凶暴極まりない姿だと想像していた。
農業という言葉に特に意表を突かれた。
肉食の怪物ばかりならば牧畜が中心なのだろうか。それでもそんな怪物の姿は全く想像がつかない。
「その様子だと、相当混乱してるみたいだね。
このコロニーでも農業は盛んだから、一回見てみたらどうだい?」
やはりジャスミンには完全に見透かされている。
「……あなたは、いつからこの国に? 何のために?」
自分のことで精一杯だったマーガレットも、今ばかりは彼女の事情が気になった。
自分と彼女の全く異なる価値観、その両方を理解できる彼女のことが知りたくなった。
「あははっ……その質問には答えられないね。年がバレちゃうじゃないの」
ジャスミンはあっけらかんと笑ってそう答えた。
その言葉は明らかに口から出任せである。それが拒絶の意図を含んでいることはすぐに分かった。
目は口ほどに物を言う。
「……そうね。うっかりしていたわ」
「いいねぇ若いって。お姉さん昔を思い出しちゃったわ」
「昔?」
ジャスミンの笑みが、心なしか弱まっていく。
「何でもコツコツ頑張れば上手くいくと思って、何でも頑張っちゃって。
上手くいかないのは自分の頑張りが足りないせいだとまで思ったりして。
……そうじゃないのよね」
彼女はその笑顔に憂いを帯びさせながら、誰にとも無く語る。
窓から外を見つめ、日の入りの始まりを窺うように。
「あの……」
「人生の先輩からのアドバイス。あまり一つの事に執着しすぎちゃダメよ」
「…………」
マーガレットは言葉を詰まらせた。――やはり、見透かされている。何から何まで。
とは言え、その忠告はすぐには受け入れられそうもないが。
「あ、そうだ。おーい、そこのおじさん」
ジャスミンはマーガレットたちの後ろへ声をかけた。
住人のゴブリンたちが座り込んでいる方だ。
「はいっす」
「こいつらに畑と家畜小屋を見せてやりな。社会勉強よ」
「お安い御用っす。ささ、こちらへ」
トールよりも皺が多いゴブリンの先導で、マーガレットとリカレンスは外へ向かう。
その前にマーガレットは立ち止まり、ジャスミンの方へ振り返った。
「あの、貴重なお話をありがとうございます」
「良いって良いって。それより今日はもう遅いから泊まっていきな。まだまだ話せるよ」
「それならまた戻ります! では失礼!」
マーガレットはそう言い残し、リカレンスたちの元へ駆け寄った。
ジャスミンはその場に残り、手を振って見送った。
「意外と良い子じゃないの。……さて、私もちょっと散歩にでも出かけようかね」
日は暮れ始め、空が次第に暗くなり始めていた。
しばらく歩いてコロニーの端まで行くと家畜小屋があった。ヤギが何頭も入れられている。
放牧のためのスペースと柵もあり、小さいながらもしっかりした造りだ。
「ここの家畜は王城の人たちから貰った物が殆どっす」
年配のゴブリンは小屋を歩きながらそう言った。
「つまり……やはりここの王が農業を勧めているのね」
「その通りっす。狩に行くのは大変だからなかなか助かるっす」
そう言って彼はニマリと笑った。一方、マーガレットはずっと鼻をつまんでしかめっ面だ。
「……まぁ、臭いっすよね」
「ええ、酷い悪臭ね。何とかした方がいいわよ」
「慣れれば平気っすから」
「あの、ごめんなさい。私もう離れるわ」
「……まぁ良いっす。あっちには畑もあるっすよ」
進路を変えて歩くと、確かに野菜畑が見える。
そう広くはないが、青々と葉が茂っている。
「王城の使いの人たちが酪農や農作のやり方を教えてくれたんっす。
こんな辺ぴな所にも使いを送る王は珍しいっすね」
「え、そうなの?」
年配のゴブリンは頷いた。
「わしらには王城のごたごたは関係ないっすからね」
――マーガレットにはまだ分からない事が多い。 ここが“辺ぴ”と形容されるからには、王の居場所である王城付近は賑わいがあるのだろうか。 今の王はそれまでの王よりも大きな影響力を持っているらしいことも窺える。 農業を広めるのも、怪物の仕事とは思えないほど効果を上げている。 人間ならばごく普通の行いだが、怪物がそこまでできる事に驚かされる。 まさか、怪物たちは人間と同じかそれ以上の知能と社会性を持つ存在だったのだろうか。
考え込むマーガレットに対して、遅れてついて来たリカレンスが退屈そうに呟いた。
「どうした。畑がそんなに珍しいか?」
「ええ、この国ではね。怪物が農業をするなんて……」
「コロニーに住む者にしか伝わってないようだがな」
リカレンスの言う通り、昨晩のコウモリの怪物のような例もある。
虫のコロニーにも農業が伝わった様子は無かった。
怪物にも様々な性質の者がいるという事だろうか。ますます分からない。
「あなたは畑も家畜も持っていなかったわね」
「まぁな。狩りに行った方が手っ取り早い」
「それもそうよね」
農業の実態を見学することができたのは大きな収穫だ。
これでジャスミンからさらに詳しい話を聞き出せるようになっただろう。
マーガレットは集会所へ向かい、意気揚々と歩き始めた。
――その時、穏やかだったコロニーに緊張が走った。
「ギャアアアアァァァァーーー!!!」
遠くから壮絶な叫び声が聞こえた。
「この声は……」
リカレンスは気づいていた。これはトールの声だ。
彼はすぐに声のした方へ走り出した。
「な、何よ、待ちなさい!」
マーガレットは呼び止めたがリカレンスは止まらない。ついて走るしか無い。 集会所までの道のりとは言え、自分がここで一人になるのは危険だ。
その青さを濃くしていく草原を二人は走る。 太陽はもうその姿を隠し始めている。 夜がすぐそこまで近づいていた。