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第8話 先を進む怪物

 マーガレットは落ち着かない様子でコロニーの集会所をうろうろしていた。 ふと目を離した隙に、ジャスミンの姿を見失ってしまったのだ。 トールを連れ戻して皆で一緒に食事をしていた時には既にいなくなっていた。 廊下に並べてあった商品も、ゴーレムと称された大岩も、全てが跡形も無く消え去っていた。 まだまだ話を聞く約束をしていたのに、挨拶も無しに居なくなってもらっては困る。 集会所の外も一周し、近隣の家屋も全て訪ねたが、影も形も掴めない。 皆は口々に「あの人は行商人っすから」と言うだけだった。 トカゲの怪物の危険もあるので遠くに探しに行くこともできず、 ただ帰ってくるのを待ち続けるしかなかった。

 そして、ついにジャスミンが帰って来ないまま朝になった。
「おい、さっさと起きろ」

 リカレンスの呼び声で目が覚めた。その低い声は目覚めを悪くさせる。
「ううん……。ジャスミンじゃない声……」
「まだ寝ぼけているのか。もう出発するぞ」

 マーガレットはのそのそと寝床から起き上がり、最低限の身支度を済ませ、 リカレンスの後を付いて集会所奥の部屋を出た。

 広間にはほとんど誰もいない。 年を取ったゴブリンが何体かいる程度だ。昨日は彼らに色々と世話になったものだ。 マーガレットは声をかけた。
「あの……今よろしいですか?」
「あい、何でしょ」

 舌足らずでしわがれた声。それを聞いてようやく老人なのではないかと感づける。
「朝食を頂きたいのですが」
「ええ」
「…………。頂きたいのですが?」
「はぁ。……ああ、狩なら川の向こうの森ですると良いよ」
「え? いや、朝食の話なのですけど……」

 マーガレットも老人ゴブリンもきょとんとした顔で首を傾げた。

 その傾げられた二つの首の内、マーガレットの首がリカレンスによって鷲掴みにされた。 そして、そのまま集会所の外へ引っ張られる。
「ぐぁっ……ちょっと、朝食は!?」
「いいから、さっさと行くぞ」
「よくない……うぐっ、うぅ……」

 口答えする度に首を掴む力が強まる。マーガレットが諦める前に体が限界を迎えた。

 表にはトールがいた。昨日手に入れたらしい機械弓を背負っている。隣にはあのカミキリムシもいる。 トールはマーガレットがもがき苦しむ様を見て一笑いした後、リカレンスに聞く。
「出発するんすか? 思ったより早いっすね」
「おう。じゃあな」
「……いやいやいや、おいらも行きますって! どこまでも!」

 目を輝かせながら忙しく動き回るトール。その言葉を聞いて、リカレンスは少し考え込む。
「うーむ……まぁ、どうでも良いか」
「どうでも、と言うことは、付いて行っても良いって事っすね!」

 歩き出したリカレンスの後を追うトール。
「……おっと」

 リカレンスが手を離す。解放されたマーガレットは真っ青な顔のまま咳き込んだ。
「げほっ、げほっ……ちょ、朝食は……」
「自分で取るんだ」
「客なのに……」

 マーガレットは渋々リカレンスの後を追った。怪物たちとの旅が再び始まった。


 国境沿いの森を出発したあの日、リカレンスは言った。 彼の右腕は『北の谷に住んでるドラゴンのおっさんが治せる』と。 それ以上の事は聞いていなかったが、真っ直ぐ北へ進んでいることは方位磁針で分かった。 ゴブリンのコロニーを流れていた川が途切れ、どこまでも続くように見えた草原から緑が消え、 岩ばかりの風景に変わっていった。 コウモリの怪物と出会った場所にあったような平らな山道はもう無い。 ある岩は空高くを目指して鋭くそびえ、またある岩は砕かれ崩れ落ちている。 どの岩も他者を顧みることなく、ただ風と雨だけに従ってそこに在る。

 幸い、危険な生物の姿は無かった。 怪物とは呼べない小さなトカゲやクモ、タカなどがいる程度だ。 植物が殆ど無いせいだろう。日を遮る岩は多いが、どの場所も渇ききっている。

 山脈の道無き道を進む一行。最初に歩みを止めたのはやはりマーガレットだった。
「ちょっと、もっと日陰を歩きなさい。暑いのよ」

 声をかけても返事が無い。離れて歩く訳にもいかず、付いて行くしかなかった。
「聞いてるの? そんなに高い所を歩くと、落ちたら大変よ」
「落ちなければ良いだろ」

 返事が来た。しかしマーガレットはそれを返事だとは認めない。
「だいたい、もっと楽な回り道があるはずよね? こんなにまっすぐ進むなんてどうかしてるわ」

 次も返事は来ない。聞こえてきたのは声ではない。もっと忌まわしい音だった。

 かすかに聞こえる、バサバサと翼がはためく音。重量を誇示する鈍い音。
「む……」

 険しい表情を浮かべるリカレンス。相手が只者ではないことを悟ったのだろうか。
「ギギーッ」

 カミキリムシが激しく殺気立ち、両アゴを空へ向けて揺らした。

 マーガレットは目を凝らし、ようやくその音の正体を見つけた。 雲もまばらな青空。その空高くで、ワシのような大きな鳥が円を描くように飛んでいる。 それがただのワシではない事は影だけで分かった。 翼の形はワシそのもの。それに加え、すらりと長い胴体と、さらに長く伸びた二本の脚。 コウモリの怪物やトカゲの怪物と同じく、ワシに人間の特徴が加わっている。 あれを見れば誰もがそう考える――ワシの怪物だ。

 すぐに銀の剣を構えるマーガレット。流石に何度も奇襲されるのはもう終わりにしたい。

 隣でリカレンスも左腕を構え始めた。そして、皆に忠告する。
「手元に気をつけろ」
「……手元に?」

 標的ではなく、手元を見ろと言うのだろうか。 理解が及ばず、リカレンスの方へ顔を向けるマーガレット。

 その一瞬の隙にワシの怪物は飛び込んできた。 翼を畳み、一息で落下したかと思うと、 すんでの所で翼を広げ、勢いを水平に変え、凄まじい速度で距離を詰めてきた。 剣で一撃入れてやろうと思っていたマーガレットも、咄嗟に横に跳ぶのが精一杯だった。 間一髪、大きな翼が腰を掠めた。 ワシの怪物は突風と共に一行の間を通り過ぎた後、またすぐに空高くへ上昇した。 マーガレットとトールは突風によろめいた。 カミキリムシも大きさに似合わず必死に地面に張り付いている。
「ヒッヒッヒ」

 少しかすれた笑い声が岩場に響いた。そちらを見上げると、ワシの怪物が鋭い岩山の先端に着地していた。 翼の先には人間と似たような手があり、何やら小さな袋に包まれた物を持っている。
「荷袋に保存食……ビンゴだぜ。俺の鼻もまだまだ現役だな」

 袋から干し肉を取り出し、真っ直ぐ口へ放り込む。 鼻から下唇にかけての骨が前へ飛び出ているその顔は、鳥とも人間ともつかない。 体を覆う茶褐色の毛も、羽毛より細やかだ。足先の爪も鳥のように大きく鋭い。
「いきなり何するんすか! やろうってなら容赦しないっすよ!」

 トールが弓と矢を見せつけながら騒ぎ立てる。しかし立ち位置は誰よりもワシの怪物から遠い。
「あいつに関わるな。放っておけ」

 リカレンスはいつものように、面倒そうな表情で静かになだめるだけだった。

 ワシの怪物は咀嚼していた肉を飲み込む。目を細め、口角を上げ、せせら笑うように話す。
「久々に会ったと思ったら……お前、子守まで始めたのか?」
「そう言うお前は、真っ当な狩りはやめたのか?」
「とか言ってよぉ、そこの人間食ったら……怒るんだろ?」
「……」
「ヒヒヒ……それなりに良い食い物を持っていたから見逃したんだぜ?  殺されたくないならもっと気ぃ付けねーとな」

 会話を聞いたマーガレットはようやく気付いた。 この怪物がさっき食べていた保存食は、自分から盗んだ物だ。 先程の一瞬、すれ違いざまに腰の荷袋から抜き取られたのだ。
「ちょっとあなた、盗みは犯罪よ。せめて対価を置いていきなさい!」

 剣先を怪物のいる岩場へ向け、凄んで見せた。
「ヒヒッ……犯罪? 対価? 一体誰と話しているつもりだ?」

 ワシの怪物が手で鼻を押さえてニヤニヤ笑う。 ゆっくり脚を曲げたかと思うと、それをバネに跳躍した。 宙を舞って着地した先は、マーガレットの目の前だ。
「このスニア様に!」

 怪物は叫ぶ。マーガレットは焦りに任せて剣を振ったが、むなしく空を切るだけだった。
「盗んではならない物など、存在しねぇんだよ!」

 剣を何回振りかぶっても、全てするりとかわされた。 受け止められる事も無く、かすりもせず、まるで何も無い場所へ剣を振っているような感触しか無い。
「このぉっ! 名前通りのっ……嫌なヤツねっ!」

 剣を振りながら声を張るマーガレット。 対してワシの怪物は余裕を見せつけ、攻撃するでもなく、何度も腰の荷袋に向かって手を伸ばしてくる。 人を馬鹿にしきった怪物の挙動に怒りを覚えずにはいられなかった。
「ええい、大人しく切り伏せられなさい!」
「ギギーッ!」
「おっと」

 カミキリムシがアゴを武器に加勢に入る。怪物――スニアは一足で跳躍し、高い岩場へ離れた。
「ヒヒッ。今の鋭い攻撃……そっちは素人じゃねーな」

 マーガレットは内心落胆した。虫よりも低評価だったことに。
「この鳥ヤロー! いい加減にしないと、この矢の餌食にするっすよ! 逃げるなら今の内っす!」

 トールが岩の陰から弓をちらつかせている。表情は見なくても分かる。絶対青ざめている。

 スニアの様子を静観していたリカレンスが口を開いた。いつもの呆れ顔だ。
「一体何の用だ」
「用か……。有ると言えば有るし、無いと言えば無いな」
「言葉遊びはいいからはっきりしろ」
「じゃあ忠告をしてやろう」

 スニアはそう言うと、隣の岩の上に飛び移った。何の意味も無い一人遊びの行動だ。
「そこの虫。この先の竜の山に連れて行く気か?  帰れる内に帰っておかないと死んじまうぜ? 何せ竜の山だからなぁ?」
「む……」

 どうやらまともな指摘をしてくれるようだ。盗人だが。いや、盗人だからこそ分かるのか。
「しょうがないな。お前はコロニーに帰っていろ」
「ギ……まだ危険……」

 カミキリムシは鳴きよどみ、その場を動かない。
「俺が消えるまで安心できないか? ヒッヒッ。 こいつらが俺を見張っていた方が、お前自身はよほど安全だと思うがなぁ?」
「ギッ……ギギッ……」
「俺たちは大丈夫だ。こいつは何もしない。それよりコロニーの仲間を守ってやれ」

 リカレンスがそう言うと、カミキリムシはその場から飛び去っていった。 確かにリカレンスが睨んでいる間、スニアは怪しい動きを見せていない。 離れ離れになるとむしろ危なかったかもしれない。
「それから……」

 カミキリムシの姿が遠ざかると、スニアは再び口を開いた。
「その人間は……やっぱり送り返すんだな?」
「……」

 リカレンスは返事もせず、表情も変えない。
「ヒヒッ。何だかなぁ……。 別の種族の者同士、争うのが自然ってもんだろ? いつになったら分かるんだ?」
「お前には関係無い」
「関係あるさ。お前がいると俺がそいつを食えないからな。だが、お前と拳を交えるのはご免だ」

 スニアはそう言うと、両翼を広げて震わせた。
「最後に良い事を教えてやろう。竜の山の周りにはトカゲの怪物は一人もいないぜ。安心しな」

 広げた両翼を一振りすると、周囲の風の流れが一変した。全ての空気がスニアの元に集まっていく。
「じゃあな。次に会う時は、また良い事を教えてやるぜ」

 体を傾け、谷へ向かって滑空する。落下し、加速し、翻って上昇し……山の向こうへ飛び去っていった。

 マーガレットは暫く呆然と立ち尽くした。 あれだけの諍いの後でも有益な忠告をするとは、思ったよりも友好的な怪物のように見える。
「ええと……友人なのかしら?」
「違うだろうな」

 翼の音が遠ざかり、辺りは静まり返った。 今思えば、あのカミキリムシが這ったり飛んだりする音は静けさとは正反対だった。
「さっさと歩くぞ」

 リカレンスが声をかけると、トールが岩陰から姿を現した。
「ぐふふ……おいらの威勢に負けて尻尾巻いて逃げたっすね」
「そうね。見事な威勢だったわ」

 確かに見事なまでに弱々しい威勢だった。彼がまともに戦えるようになる日は来るのだろうか。 そんな事を頭の片隅で考えながら、マーガレットは遠くの山を見る。

 ――先程“竜の山”と呼ばれた場所。 あの巨大なカミキリムシさえも、踏み入っただけで死んでしまうという風に言われていた。 そんな場所に人間が立ち入って無事で済むのだろうか。

 リカレンスに導かれるまま、一歩、また一歩と竜の山に歩み寄る。 植物が一本も見えない巨大な岩山。それなのに、今にも暴れだしそうな生命力を感じる。 それは今まで見たどんな怪物よりも恐ろしい姿だった。


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