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第9話 恐怖を教える怪物

 ゴブリンのコロニーを出発してから一日半が経過した。 日が高く上る頃、竜の山の横穴に到着した。 無数に連なる高い山々の一つ、その谷底のさらに奥。 騎兵でも通れそうな大きな穴だが、入り組んだ地形のせいでその入口は外から一切見えない。 まさに秘密の洞窟という様相だ。

 夏の日差しは厳しく、とても暑い。山に近づくほど暑くなっているような気がする。 マーガレットは一刻も早く洞窟で涼みたかった。 そう思って早歩きで洞窟に足を踏み入れた時、余計に体力を費やした事を後悔した。 横穴は外よりも暑かったのだ。全身を流れていた汗が加速していく。

 立ち止まり、振り返る。涼しげな顔のリカレンスと、へばりきった顔のトールがいた。
「この中に入るつもり?」
「当たり前だ。腕を治さないとな」

 迷いの無い返事だった。二体の怪物はマーガレットを追い越して奥へ進んだ。 後を追うしかない。 この辺りにトカゲの怪物はいないとスニアは言っていたが、脅威はそれだけではないだろう。 竜の山と称されるからには何かある。 竜などという空想上の生物が実在するはずもないので、 それに匹敵する何か、誰もが恐れる畏怖の対象が存在するはずだ。 そんな場所で一人になれるほど愚かではないつもりだ。

 怪物たちは平然と進んでいたが、マーガレットには真っ暗で何も見えない。 持っていたランプに火をつけ、視界を確保した。

 洞窟の中は生物の気配で満ちているのだが、動く物は何も見当たらない。 乾ききった灰色の岩があちこちに転がっているだけだ。 道は曲がりくねっており、徐々に低く地中へと向かっている。 それでも両手を伸ばして余りあるほどの幅と高さがある。

 進めば進むほど暑くなっていく。まるで窯の中にいるようだ。 汗が絶え間なく流れ落ちる。その汗で服が重くなっていく。

 どうやらカミキリムシを帰らせた理由はこれだったようだ。 どんなに体が大きくとも、昆虫は変温動物。 こんな場所にいては、比喩でも何でもなく蒸し焼きになっていただろう。 マーガレットは人間だから大丈夫だが、それも体力と水分が残っている間の話だ。 丸一日もこの中にいれば、どうなるか分からない。 焦りと疲れがせめぎ合い、歩調が安定しない。

 暫く進むと、熱気が熱風に変わった。 目を細めながらも奥へ進むと、広い空間に出た。 それも大聖堂のように広大で、どこからともなく赤い光に照らされている。 壁沿いには螺旋状の長い長い下り坂があり、中央には地底深くへ続く大穴が開いている。

 下を覗き込んだ時、赤い光の源が見つかった。 湯よりも重く、炎よりも熱い――マグマだった。 それを見た瞬間、熱風が目を灼いた。 目を抑えて地面を転げ回るマーガレット。
「おっさん、居るか?」

 リカレンスが下へ向かって声を張る。声が何重にもなって跳ね返る。 反響が止み、再び静かになった後も何の返事も来ない。

 マーガレットは何とか涙で目を洗いきり、周囲を見渡した。

 岩陰に動く影が見えた。緊張し、腰の剣に手をかける。
「気を付けて、そこに何か……」

 リカレンスに声をかけた時、影の正体が顔を見せた。 その姿は人間の少女そのもの、それも十二歳前後の背丈だった。 透き通るような銀色の髪が肩の辺りまで伸び、毛先があちこちに跳ねている。 肌も同様に真っ白だが、目の色だけは先ほど見たマグマのような赤色だった。 身に纏う服は砂埃ですすけているものの、古くも安っぽくもない。 こんな辺ぴな場所に居る者にしては人間らしさがある。

 少女は口を開き、言葉を投げかけてくる。
「あなた、人間?」

 無表情のまま、高くも落ち着いた声で話しかけてきた。
「そう言うあなたは人間かしら?」

 マーガレットは剣の柄を握りしめたまま聞き返す。 ジャスミンの話が本当ならば、ここに人間がいるはずもない。 相手は人間の形をしただけの別物かもしれないのだ。

 少女は一人の人間と二体の怪物の姿を目で確認すると、少しだけ首を傾げた。 彼女はずっと無表情だった。目にも肩にも力を入れず、ただそこに立っているだけだった。 消え入りそうな儚い姿にも関わらず、得体の知れない胸騒ぎを感じさせる。
「あなたは人間……。でも、怪物と一緒にいる……」

 質問しておきながら断定されてしまった。なんだか気分が悪い。
「好きで一緒にいる訳じゃないわ。目的のために必要だからいるのよ」

 そう言うと少女は俯いた。そして、呟く。
「人間はキライ」

 その無表情な呟きは無感情ではなく、重く、冷たく、そして鋭い。
「……つまり、あなたは人間じゃないのね」

 気晴らしに断定し返した。人間であってくれた方が嬉しかったのだが。

 その断定はすぐに裏付けられた。
「人間なんてっ!」

 少女が声を荒げた。その瞬間、マーガレットは暑いはずの洞窟で強烈な寒気を感じた。 息が詰まり、鼓動が早まり、手が震え、足がすくんだ。 まるで自分がこの少女に恐怖しているかのような感覚に支配された。 巨大なムカデに睨まれたあの時と同じ感覚が体を蝕んでいく。 しかし、違うのだ。血の気が引いて思考が速くなっているので分かってしまう。 こんな小さな少女を相手に、多少の軽口を叩いて怒らせたくらいで、ここまで恐怖心を煽られる訳が無い。 トールやリカレンスを相手に同じような言葉を交わしても、こうはならなかった。 ――“何か”されている。

 少女は目じりを釣り上げ、こちらを睨み付けている。もう無表情の面影も無い。 体が思うように動かない。背中が後ろへ引っ張られる。膝から下が勝手に後退する。 まるで自分自身が、ここから逃げろと急かしているような感覚。 それが錯覚だと分かっていても耐えがたい。 剣の柄から手を離さないようにしつつ、足を踏み止まらせるのがやっとだった。

 その時、地底から重々しい足音が聞こえた。その音は反響して地鳴りのように轟いた。 さらに、息を吐く音。これも重々しく、突風のように騒いだ。

 地底から声が響いた。
「これ、ソフィアよ」

 低く、どっしりとした声。その主が岸壁沿いの坂道から現れた。

 その怪物は、あのムカデに比べれば小さいにしてもかなりの巨体。 長い尻尾が地面を擦り、鋭い足の爪が岩を砕く。それはトカゲのようで。 全身が乾いた鱗に覆われ、口には大きな牙が輝く。それはヘビのようで。 地に着いた四本の足は丸太のように太く、背は岩山のようにゴツゴツしている。それはワニのようで。 全身は燃えるような赤色。所々に付着していた冷えて黒く固まったマグマが、歩く振動で体から崩れ落ちる。 まさに炎そのものであり、しかし生物なのである。 ――ドラゴン。そう形容せずにはいられなかった。 翼や角など無くても、そうとしか思えない。そう思わされている。 知識でもなく、理屈でもなく、経験でもなく、直感で悟らされている。
「彼女を怯えさせてはならんぞ。我の友人が連れて来た者だ」

 低い声が洞窟いっぱいに響き渡る。言葉にアクセントをかける度に岩壁から砂が落ちる。

 マーガレットはその姿と声に恐怖していた。しかし、ついさっき感じた強烈な不安感は無い。 リカレンスが会いに来たドラゴンとは、彼のことなのだろう。きっと敵対せずに済む。
「……ふんっ」

 ソフィアと呼ばれた少女は向こうへ振り返り、平らな岩に手を着いて座り込んだ。 先程までとは打って変わって、渋々了承したという様子が全身に表れている。 頬を膨らませてさえいる。

 リカレンスが前に出て、右腕に巻いた布を指さす。 マーガレットによって切断されたその右手は、相変わらずぴくりとも動かない。
「おっさん。今日はこれを治してもらいに来た」
「今日も、だろう。たまにはそれ以外の用事で来ぬか」

 彼は医者を生業にしている訳ではなさそうだ、などと考えている暇は無かった。

 言うが早いか、ドラゴンはリカレンスの右肩に前足を伸ばし、全身をがっちりと握り込んだ。 残りの三本の足で足早に坂道を這って下り、崖の下のマグマの池で立ち止まった。
「始めるぞ」
「……頼む」

 最後に短く言葉を交わすリカレンス。

 ドラゴンはリカレンスの右肩を右手で、切り離された右手を左手で掴み直した。

 リカレンスの姿は、マーガレットたちからは見えなかった。 立ち昇る熱風のせいで上から覗き込むことができないのだ。 だから想像するしかない。視覚を除いた数少ない情報を元に、推測するしかない。
「ぐおおおあああああああぁぁぁーーーー!!!!」

 蒸気が噴き出すような音。リカレンスの悲痛な叫び声。立ち上る黒い煙。鼻を突く焦げた臭い。
「がああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーー!!!!」

 マーガレットは開いた口を手で押さえ、ふらふらと岩壁に背を着けた。 推測が当たっているならば、彼は今頃マグマによって――。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 叫び声は十秒、二十秒、三十秒と続いた。空気がビリビリと震え、周囲に砂煙が上がる。
「ぐっ、ぐあああっ……ううぅ……はぁ、はぁ……はぁぁ……」

 長い長い悲鳴は終わり、息を整える音に変わった。 それでもまだ、ぐしゃぐしゃと何かをかき混ぜるような音が聞こえる。

 さらに暫く待つと、ドラゴンが坂道を上ってきた。 リカレンスがぐったりと力無く背に乗せられている。 彼の右腕を見ると、薄ら青い肌の表面で、白い煙と赤い水が渦巻き続けている。 肩から手首にかけての筋肉が小刻みに跳ねている。

 ずっと隅で縮まっていたトールがおどおどと歩いて来た。
「アニキは無事なんすか……?」
「腕は直した」

 ドラゴンはそう伝えた。マーガレットからすれば何が何だか分からない。 確かに切断されていた腕は切れ目もなくぴったりくっついている。手も動くようになった。 しかし、それは結果を見ているだけに過ぎない。 過程は。原理は。意味は。根拠は。説明は――
「体から銀を取り除いたのだ。そうすれば彼の再生力が働くようになる」

 マーガレットが何も言わない内から、ドラゴンは彼女の混乱に返答した。 しかし、混乱の解消にはまだ至らない。
「……ええと、銀を?」
「銀だ。我々の体の成分の一つが、銀に触れると表面で固形を成してしまうのだ」
「…………」

 そんな物質が生物の体を構成しているとは聞いたことが無い。 混乱が頂点に達し、視界が揺れた。頭を抱えて座り込んだ。
「すぐに理解しようとするからだ、高慢な人間よ。それにここは空気も薄い」

 そう言うと、ドラゴンはリカレンスの体を地面に降ろした。 リカレンスは仰向けに倒れたまま苦しそうに深呼吸していた。全身から汗が流れ出ている。 マーガレットはその姿に少し驚いていた。 今まで何があっても平然としていた彼だったが、こんな風に苦しむこともあるのだ。
「人間よ」

 ドラゴンが呼ぶ。マーガレットは緊張し、思わず姿勢を正した。
「我に与えられし名はナリッジ。恐怖に挑み己を偽る人間よ。 何か知りたい事があるのではないか? 我がそれに答えよう」

 赤色の鱗の裂け目に輝く金色の瞳が、マーガレットをじっと見据える。
「私の名前は、マーガレット……」

 理解が追い付かず、まず名乗り返した。 このドラゴンはまるでこちらの事を最初から知っているかのような口ぶりだ。 目的も、素性も、過去さえも。あるはずが無いと思っていても、緊張がそれを肯定する。
「強大な力と高度な知能を持ち、怪物たちを統べる王がいる……という伝承は本当?」
「王がいるのは本当だ。しかしそれ以外は保証できん」
「その王はどこにいるの?」
「ここから西へ進んだ先に王城がある。そこに居る者が王だ」

 ジャスミンやゴブリンたちから聞いた話と矛盾しない。確かな情報なのだろう。 ここから西、王国との国境から遥か北西。そこに王の住む城がある。
「あなたは王と関係があるのかしら?」
「無い」
「王と話をするにはどうすればいいかご存じ?」
「何もする必要は無い。会えば話せるだろう。しかし、そなたの思い通りにはならない」

 それは断定の言葉。 マーガレットはまだ目的を話していないのに、見透かすように語るドラゴン。
「良いわ。私は絶対に諦めないもの」

 こちらも断定の言葉で返す。譲る必要は無い。やるしかないのだから。後には引けないのだから。

 倒れていたリカレンスが荒い息を一旦飲み込み、立ち上がった。
「……リカレンスよ」

 ドラゴン――ナリッジが呼びかける。
「何だ、おっさん」
「王城のコロニーへ行くのだ。そなたが恐れる過去が、今また繰り返されようとしている」
「何だって?」

 リカレンスは眼差しと声に力を込めながらも、驚きを押し殺して尋ねる。
「詳しく話してくれ」

 その言葉に、ナリッジは目を伏せ、閉じた口を重たげに動かす。
「それはできない」

 それは拒否の意思。言葉を伴う沈黙。――その理由を訊いても、彼は答えないだろう。 リカレンスには分かっていた。ナリッジは全てを知っている。 だからこそ一言だけ話し、それ以上は何も言わないのだと。
「……そうか。腕のこと、感謝する。礼はすぐに返す」

 そう答えると、リカレンスは振り返り、出口へ向かって歩き始めた。 まだ全身に汗が浮き、足取りもおぼつかない。壁に手を着いたまま進んでいる。
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
「置いて行かないでアニキー!」

 マーガレットとトールは慌てて後を追い、引き止める。
「やっと王城へ行く気になったのね?」
「そうだな。お前はここに残れ」
「こんな暑い場所に残っていられますか! 私も行くわ!」
「お、おいらも……」

 高圧的に食い下がるマーガレットと、寂しげにすがり付くトール。
「……はぁ。勝手に付いて来い。何があっても知らんぞ」
「結構よ。でも、最低限のエスコートはしなさい」
「話を聞け」
「あなたが聞きなさい!」

 あれこれ不毛な言い争いをしながら、リカレンス、トール、マーガレットの一行は洞窟を後にする。 来た道を戻り、入口の荒野へ進む。日の光を受ける地上の世界へ。


「王城で何があるの?」

 一転して静かになった洞窟の奥地で、ソフィアはナリッジに尋ねる。
「そなたは知らなくて良い。暫くここに留まるべきだ」

 そう言って、ナリッジは地底への坂を歩き始める。

 ソフィアは座っていた石に横たわり、ぽつりと呟いた。
「どこにも行かないわ。行く当てなんて無いもの」

 静かで暑い洞窟は、全ての音を呑みこんでいく。 マーガレットたちの喧騒も、ナリッジの足音も、ソフィアの言葉も、全て地底深くへ吸い込まれる。 後には何も残らない。ただ熱い空気だけがぐるぐると巡っていた。


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