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第10話 行く手を阻む怪物

 ゴブリンのコロニーを出発してから二日半が経過した。 竜の山からさらに丸一日歩いた。 道なき山道を抜け、ようやく緑の木々を眺めながら歩けるようになった。

 空は灰色の曇に覆い尽くされ、次第に暗くなっていく。 足元の植物たちも空へ伸びるのを止め、地面を見つめるように頭を下げている。

 遠くに町のような風景が見える。石造りの家々が無数に立ち並んでいる。 さらにその先、丘の上には大きな城がある。 丘の先には崖があり、崖の下には大きな川が流れ、川は遠く海まで続いているらしい。

 城下町のように見えるそれは、厳密には“町”ではない。人間が住んでいないのだから。 住んでいるのは怪物なので、それはどこまで賑わっても“コロニー”である。

 ここは昔、人間が住む町であったらしい。残された建物を怪物たちが再利用しているのだ。 城も同様、かつての人間たちがとある貴族のために建てたものである。 城壁はボロボロに欠けたまま、ほとんど修繕されていない。 物見やぐらとしての機能が必要な場所に木の足場が組まれているだけ。 内側もめちゃくちゃで、壁や床さえも元の役目を果たせる状態ではない。 それでも城に住む怪物たちは、それを不便だとさえ思っていない。 城には美しさや快適さは求められていない。求められているのは、王の所在を誇示する役目だけである。

 城が怪物たちの手に渡ってから何百年も経っている。 城下町改め王城コロニーでは、今では王が認めた者しか住んでいない。 誰かがそう決めたわけではない。 強大な王の元には強大な配下もいる。 王に逆らい秩序を乱した者が、一人また一人と数を減らしていき、今に至っているだけだ。

 リカレンスの話を聞き、マーガレットは歩くペースを落とした。
「じゃあ城までは迂回した方が良いわね」
「どうしてだ? 王と話をするだけなら何も起きないだろ」
「そんな無秩序な場所は御免よ。無用な争いは避けたいもの」

 ここは怪物の国。相手は敵国どころか敵種族なのである。
「トール、あなたにとってもそうじゃなくて?」
「おいら? おいらにはこの弓があるから簡単には舐められないっすよ!」

 そう言って背中の機械弓を見せつけるトール。
「相手が大勢だったら?」
「その時は……こう……ま、まぁ大丈夫っすよっ」

 確かにマーガレットも剣を持っているが、それが何になると言うのか。 剣の扱いは半人前にも及ばない。まともに斬ったことがあるのは無警戒の相手だけ。 むしろ重さで足が遅くなってしまうくらいだ。真っ向からの戦いになれば無事では済まないだろう。

 リカレンスは周囲を見回して、進路を変えた。
「あの林を抜けるのが良いだろう。城の前まで続いている」

 そう言って、草木しか無い方向へ進んでいく。

 後をつけるマーガレットは、また悪態をつく。
「今まで私を王に合わせるのを拒否していたのに、随分と物分かりが良いじゃない」
「……そう言えばお前も王に会いたがっていたんだったな」

 マーガレットは溜息をついた。 今回もまた、リカレンスは彼自身の目的しか考えていなかったようだ。
「ええと、ナリッジとやらは何と言ったかしら。 過去が繰り返されるとか……あれはどういう意味なのかしら?」
「…………」

 リカレンスは答えない。

 ――そう言えばジャスミンも何か言っていた。彼がかつて王に仕える兵士だったとか。 それが今はこの通り浮浪の身。 過去に何があったのか……全く想像がつかない訳でもないが、知っておきたい。 直感は確信に変わりつつある。 彼の正体を知る事が、この国の歴史を知る事に繋がっている。 そして、これから起きる事件の意味にも――

 木々の合間を進んでいくと、すぐに開けた場所に出た。 マーガレットとトールは眼前の光景に息を呑み、足を止めた。 そこにいたのは四体のトカゲの怪物。 とっくにこちらの足音から察していたのか、横に並んで立ち、こちらを睨んでいる。
「おい」

 トカゲのうち一体が声をかけて来た。 突然の出来事に、マーガレットの鼓動は暴れていた。腰の剣に手をかけるのに十秒もかかった。
「お前たち、どこへ行くつもりだ?」
「王城へ」

 リカレンスは臆することなく即答した。
「何をしに?」
「気にするな。ちょっとした相談だ」

 はぐらかすような受け答えに、トカゲたちは敵意をむき出しにし始める。
「何だ、言えない用でもあるのか?」
「……通さないつもりか」

 リカレンスは気だるそうに力を抜いていた体に力を入れ直し、トカゲたちを睨んだ。 対してトカゲたちは急に笑みを浮かべた。
「いや、通ってもいいぜ。好きにしろ」

 トカゲたちは横に動いて道を開けた。 リカレンスはトカゲたちの横を通って先へ進んだ。 マーガレットたちも、その後を追おうと恐る恐る歩き始めた。
「そうだ。勝手に行けばいい。ただし――」

 その時、トカゲたちのうち二体が地面を蹴ってリカレンスに飛び掛かった。 さらに残りの二体もマーガレットたちの方へ走った。
「――邪魔はさせてもらうがな!」
「なっ!?」
「ひいいいいぃぃーー!!!」

 トールの叫び声が林の中に響き渡った。

 リカレンスの方へ跳躍したトカゲは腕を思い切り振りかぶる。 その鋭い爪と怪力で肉を引き裂くつもりだ。
「……やっぱりな」

 トカゲが爪を叩きつけるよりもずっと早く、リカレンスの右手がトカゲの鼻先を鷲掴みにする。 さらに両腕を逆に振り、仕掛けてきたもう一体のトカゲも左手で握り込む。 それらを、両腕の回転に乗せて放り投げる。 勿論、マーガレットたちの方へ走った残り二体のトカゲに向かって。
「ぐわああああーっ!!」

 後ろから飛んできた仲間に押されて転ぶトカゲたち。 すぐに立ち上がろうとするが、 一足飛びに追いついたリカレンスの拳の一撃によって、あっという間に意識を封じ込められた。

 ――全てが的確で、かつ凄まじいスピードだった。 切断された右腕が元通りになったことで、 パワーもスピードも、そして何よりバランス感覚も大きく向上しているのだ。 のろまで融通の利かないうどの大木はもういない。これが彼の本来の身体能力。 人間にはとても真似できない、正に怪物の動きだった。

 トカゲたちが伸びている隙に、リカレンスたちは城の方へ歩く。
「だいたい察しがついたぞ。急ごう」
「な、何がっすか? アニキ、待って下さいっす! そんなに急がなくても!」

 騒ぎながら後を追うトールと、思案しながら後を追うマーガレット。 トカゲたちが追ってくる様子は無い。増援がやってくる様子も無い。 木の合間を縫うように、先へ先へと進んでいく。 王の居る城はすぐそこだ。

 計画通り、林を抜けると城門のすぐ前に辿り着いた。 そこにあるのは一見ただの瓦礫の山だが、城門が崩れたものなのだろう。

 そんな廃墟同然の城でも、門の前には衛兵がいた。ブタの怪物が四体。 潰れた鼻、丸まった耳、短い手足、丸く肥えた腹。 それでいて長い胴体とがっちりした肩、長い指のある手がどこか人間を思わせる異形の怪物。 背丈はマーガレットと同程度。茶褐色の体毛が全身を薄く覆っている。 彼らは門の前にただ寝転がっているだけで何もしていない。 こちらを睨むことさえしない。耳をひくつかせてこちらの足音を認識しているにも関わらず。 ――害意が無いのは有り難いが、張り合いが無い。

 これを衛兵と称していいのか、本当は分からない。 ただ、王がブタの怪物だと聞いていたので、同じブタの怪物はその配下なのだろう。
「おい」
「……フゴッ」

 ある程度近づいた所で、リカレンスが声をかける。 返事は詰まった鼻息だけだった。
「王に用がある。取り次いでくれ」
「フガフガ」

 ブタが何か言った。人間の言葉ではなく、獣の言葉……いや、言葉ですらない。 言葉に鳴き声を返したものの、その場でだらけたまま動かない。
「何と言っているか分かるの?」
「分からん」
「……あなたは?」
「アニキに分からないことがおいらに分かる訳がねーっす」

 尋ねるだけ無駄だった。意思疎通はできそうにない。

 マーガレットは困惑した。 目の前のブタの怪物は人間の特徴を所々に持つ。 それなのに、今まで見てきた他の怪物と違って人間の言葉を理解していない。 まさか、言葉が覚えられないほど知能が低いのだろうか。

 マーガレットは仕方なくそのまま城に入ることにした。ブタたちを無視して歩き始める。 しかし、すぐにリカレンスに呼び止められる。
「おい、待て!」
「何よ。王に会いたいのでしょう?」
「待てと言っている。周りをよく見ろ」

 そう言われて周りを見ると、ブタの怪物が四体ともこちらを睨みながら起き上がりだしていた。 鼻息を荒立てながら、二本の後足でこちらに走ろうと構えを取っている。 寝転がっている彼らを見て、怠けているのだと思い込んだマーガレットは間違っていた。 彼らの仕事は城に入る者を阻止することだけ。 取り次ぎや雑用をすることも、仕事に関係の無いしきたりを守ることも、はなから命じられていなかったのだ。

 慌てて歩みを戻すマーガレット。それを見たブタたちは気を静め、また呑気に寝転び始めた。 先程の剣幕が嘘のようにだらけきっている。

 こちらの気配に慣れて眠り始めるブタたち。マーガレットはがっくりと手を膝に着いた。
「脅かすんじゃないわよ……」

 彼らはさっきのトカゲたちと違い、騙し討ちなど一切考えていないだろう。 それでも、あわや二度目の奇襲を受ける所だった。 知能が低いからと言って、油断していい理由にはならない。 説得も弁解も交渉も脅迫も、一切通じない。騙すことすらできない。 考え無しの行動が時に最も危険で厄介なものになり得るのである。

 三人は暫く考えた。城壁に穴が開いている箇所には漏れなく衛兵のブタが複数いる。 登れそうな場所、穴を掘れそうな場所にもくまなく配置されている。 平和裏に行こうにも言葉が通じない。城に入る事がすなわち侵略行為と見なされる。 その時点で、自分たちの目的を達成することができなくなってしまう。 事があまりに単純すぎるせいで、積極的に突破することはまず不可能だ。

 それでも一つの答えにまとまり始めた時、城の方から声がかかった。
「こりゃああぁぁぁーっ!!! そこで何をしておるかぁぁぁーっ!!!」

 しわがれた叫び声。見れば、小柄でしわくちゃなブタの怪物がいた。 腰を大きく曲げながらも二足歩行で歩いている。 ブタとは思えないほど腹がへこみ、肋骨を始めとする全身の骨が浮き出ている。 潰れた鼻と小さい尻尾だけが彼がブタであることを証明している。

 彼の後ろには大勢のブタの怪物が正方形の陣を成して整列している。 その数五十体。そのうち二十体は何か大きな台座を皆で担いでいる。 しっかりと二足歩行したまま、人間さながらの腕と肩で台座を支えている。

 台座の上には巨大な物体が乗っている。 薄茶色の体毛に覆われ、詰まった鼻から息を放っている丸い物体。 それは確かにブタの怪物であった。 他の怪物たちよりも遥かに大きく、そして丸々と太っていた。 高さも太さも、リカレンスの倍以上だ。

 この光景を見て間違えようが無い。台座の上にいるブタこそが怪物の王。名はグリースィ。 台座に座り、配下のブタたちに担がせ、城から出てくる所だったのだ。
「ニンゲン風情がこの城に何の用じゃっ!!! わしらの食糧にされたいかぁぁっ!!!」

 老ブタの大声が頭を揺さぶる。
「私はそちらの王に頼みが……」

 マーガレットが話そうとしたが、リカレンスが手で制する。
「王に用がある。そっちにとっても有益な話だ」

 それを聞いた老ブタは、三人を頭から足先まで怒りの形相でジロジロと睨む。 そしてリカレンスの顔をもう一度睨み直す。
「おぬしはどこかで見た顔じゃな。 ……じゃがな、陛下はお忙しいんじゃっ!!! ほれ、道を空けんかーっ!!!」

 怒号が飛び、唾も飛ぶ。リカレンスたちは思わず道を空ける。
「さぁて陛下、行きますぞ!!」
「フゴ、フゴゴ」

 ブタの王が鼻を鳴らす。
「……いえいえ、陛下ともあろうお方が、こんな卑しい者どもの相手をする必要はありませんぞ!!」
「フガッ」
「しかし陛下、先に報告のあった“ならず者”の退治が先ですじゃ!! 急ぎましょうぞ!!  出発じゃぁぁぁー!!!」

 老ブタが手で合図すると、ブタの王を担いだブタたちはコロニーの方へ歩き始める。 人間の軍隊のようにはいかず、足並みはバラバラで台座はぐらぐらと揺れていた。 それでも命令に忠実で力強い歩みは、人間の軍隊とはまた違った強さを思わせる。

 マーガレットは面食らった。 怪物の王たるあの巨大なブタが、人間の言葉を喋っていなかった。 他の怪物でもた易く流暢に喋ることができていた人間の言葉を。

 ――話が違う。 怪物の王は他の怪物と違って力も知性も統率力も全てが抜きんでている……という噂だった。 それがどうだろう。 目の前のこれは怪物の王と呼ばれているのに、力はともかく知性などほとんど無いのではないか。 この国に来た目的が、根底から崩れようとしている――

 ブタの王とその一団は、リカレンスたちを置き去りにして城を離れていく。 振り返ることも立ち止まることも無く、コロニーの南側を目指して進んでいく。

 太陽を隠す雲は黒みを帯び、辺りが薄暗くなっていく。 昼間なのに、まるで夜が間近に迫っているようだった。 しかしそれは夜よりも暗い、日光も月光も無い、純粋な暗闇。

 もうすぐ、雨が降る。


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