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第11話 突き落とす怪物

 リカレンス、トール、マーガレットの三人は城門前の林で体を休めていた。 木々に隠れた向こう側ではブタの衛兵たちが呑気に寝転がっていることだろう。 今自分たちにできるのは、雨宿りしながらブタの王の帰りを待つことだけである。 食事を済ませた三人は、交代で見張りを立てながら休んでいた。

 昼は過ぎ、夕方になろうとしていた。 周囲はいよいよ暗くなってきた。遮られた日光が弱められ、まるで月光のように鈍くしなやかになっている。
「降ってきたわね……」

 マーガレットは嘆息した。雨そのものよりも、手持ち無沙汰に対して。 ここ一週間の間ずっと晴れていたのだから、当然そろそろ降るだろう。嘆息しても仕方がない。 それよりも嫌なのは、よりにもよって平野のど真ん中で雨に降られていることだ。 木の下を離れるわけにもいかないので、ただ座って時が過ぎるのを待つしかない。

 遠くに見える無数の家屋が羨ましい。 あの中にいれば、雨に関係なく惰眠を貪ることさえできただろう。

 そんなことを考えながら仏頂面で家々を眺めていた。

 その時、遠くで雷の音が鳴った。まるで建物が崩れるような轟音。

 三人は驚愕した。雷とは全く関係無く、眺めていた家屋の内の一軒が崩れ始めたのだ。 砂煙を巻き上げながら、家屋が瓦礫に変わっていく。
「何が起きているの……?」

 マーガレットは立ち上がり、コロニーの方を凝視した。 丘の上に建つ城の周辺からは、コロニーの反対側まで続く大通りの様子を見ることができる。 しかし、雨と砂煙のせいで何が起きているのか分からない。そもそも遠い。
「来るのが早すぎる……!」

 リカレンスが歯ぎしりしている。そうさせるのは怒りなのか、それとも悲しみなのか。

 続いて、さらにもう一軒の家が崩れ始めた。今度は衝撃音がここまで聞こえてきた。 砂煙がさらに大きく立ち込める。
「ねぇリカレンス、何が起きているか分かるかしら?」
「あれを見ろ。トカゲだ。何十人ものトカゲがコロニーを襲っている」

 砂煙の切れ目に小さく見える、長い尻尾と短い手足を持つ影。 今まで何度も見てきたトカゲの怪物の姿だ。 二足歩行をするブタの怪物や、小さく毛むくじゃらの謎の怪物がトカゲから逃げ回っている。 逃げ切れずに爪やアゴで切り裂かれている者もいる。一方的な虐殺だった。
「襲われているのは?」
「相手はブタと……ネズミだな」

 ブタの怪物は今しがた見た。さらにここにはネズミの怪物までいるらしい。 やはり二足歩行で、遠く離れていても目で動きを追えるほどの大きさ。 それでもトカゲの怪物の三分の一程度の大きさしかない。抵抗してもすぐに殺されている。

 ……マーガレットの目ではそこまで遠くの様子は見えない。怪物の視力に頼るしかない。
「王が襲撃されているのなら、助けに行くのが良いわ!」
「ああ、その通りだ」

 ここで王を助けでもしなければ、王に謁見する機会は暫く来ないだろう。 リカレンスとマーガレットはコロニーの方へ走り始めた。
「ま、待つっす……!」

 トールは二人を呼び止めようとするが、出遅れてしまった。 そして、そのまま追いかけられなかった。足が勝手に後ろ歩きを始めていた。
「な、何で……トカゲが何十人もいるって……聞いて……出ていけるんすか……?  いくらアニキでも……無理っすよ……」

 木に背をもたれて座り込むトール。足は脱力しきっていた。

 リカレンスはトカゲの群れなど蹴散らせるほど強い。しかし、それ以上に優しい。 自分が付いて行けば彼の足を引っ張ってしまう。 そうなれば、例え彼でも負けてしまうかもしれない。 マーガレットもそれを分かっているはずなのに、立場は自分と同じはずなのに、 なぜ飛び出していったのだろうか。 一体何が彼女を動かしているのだろうか。

 考えれば考えるほど、動けない理由が増えていく。今動けば間違いなく敗北する。死んでしまう。

 木が雨をよけて、遠くの地面だけが泥に変わっていく。 雨脚はどんどん強まり、コロニーの喧騒を遮り、林を静かにしていく。 雲は黒く、昼を闇に染めていく。


 コロニーは完全に混乱していた。 ブタやネズミが、コロニー中にいるトカゲたちから逃れようと右往左往している。 どこに逃げようとしても、逃げる先にトカゲがいるのだ。

 あちらこちらに死体や死肉が散らばっている。 ブタよりもネズミの方が多いのは元の数のせいだろうか。 その中にトカゲの怪物の死体は無い。これだけの数の住民を相手にして全く損害が無いのだろうか。

 途中ブタたちにぶつかりそうになりながら、崩れた家のすぐ前まで辿り着いた。 たった五体のトカゲの怪物が、何十体ものブタの怪物を相手に戦っている。 トカゲたちの方が優勢だ。 ブタの怪物を一体ずつ誘い出して、集中攻撃しては後ろに下がって、確実に数を減らしている。
「居たわね。さぁリカレンス、お行きなさい!」
「何様だ。言われなくても行く!」

 リカレンスがトカゲたちの方へ駆けた。
「おい、ヤツが来たぞ! 撤退!」

 こちらを見た一体のトカゲが叫ぶ。叫んだ途端、トカゲたちは一斉に散った。 猛然と進んだリカレンスの拳は一体のトカゲの頭を捉えたが、他のトカゲたちは逃してしまった。
「に、逃げたわよ!」
「……追わないぞ」

 周りに何体ものブタの怪物が倒れている。 皆肉を裂かれ、骨を折られている。 中にはそれでいて尚立ち上がろうともがく者もいるが、助かりはしないだろう。 足元に流れる雨水は真っ赤だった。

 彼らはリカレンスのような再生能力を持っていないのだ。 そもそもそれは怪物共通の能力ではなく、彼特有の能力なのだから当然だ。

 ブタの王はついさっきまで崩れた家屋の下敷きになっていた。 とは言え、その体が家と同じくらい大きかったため、 瓦礫は木の葉のように降りかかっている程度だった。 さすがに今は台座からは降りて自分の足で歩いている。体に大きな傷は見当たらない。

 ブタの怪物たちは最初、リカレンスを警戒して殺気立っていた。 しかし何かの叫び声、もしくは喚き声が通ると大人しくなった。 その声の主は城の前で会った老ブタ。ブタたちを押しのけてこちらに喚き寄って来た。
「おぬしら、まああぁだこんな所でウロウロしとるかぁぁぁーっ!!!」

 腰の曲がった姿勢から絞り出される、しわがれた怒号。思わずのけぞってしまう。
「さっさとここから去れぇい!! わしの気は長くないぞ!!」
「待ってくれ。トカゲを倒してやったのは見ただろう? 城に戻るなら、そこまでの護衛を俺に手伝わせてくれ」

 リカレンスの言葉に対し、老ブタはあからさまに訝しげな顔を向けた。
「はぁあん? 何が目的じゃ? 王の首が取りたいのか、取り入りたいのか、それとも報酬目当てか……」
「トカゲどもに一泡吹かせたいだけだ。迷惑はかけない」

 いつもの気怠さは無く、真剣な態度のリカレンス。 その後ろで「取り入りたいって言えばいいじゃない」と呟くマーガレット。 呟いたとき、老ブタと目が合った。聞かれていた。
「陛下、こやつら陛下が直々に断るまで動かないつもりですぞ! 何かお言葉を!」
「フガッフガッ」
「何と、連れて行かれるのですか! このどこの馬の骨とも知れぬ輩を!!」
「フガゴッ」
「……陛下がそこまで仰るなら仕方あるまい。おぬしら、勝手に動いとれぃ!!  くれぐれも、陛下に近づき過ぎるでないぞ!! 怪しい動きを見せたらその場で八つ裂きじゃぁ!!!」

 ブタの王の鼻息から何を悟ったのか、老ブタは兵たちに命令しに下がっていった。

 マーガレットはブタの王の姿をもう一度見上げた。 言葉が通じず、何を考えているのか分からないブタの王。だが恐ろしさや不気味さは感じなかった。 巨大な体にも威圧感は無い。そこにあるのは威厳だけ。 たった二つの優しい瞳が、鋭い牙や重い蹄の恐ろしさを打ち消している。
「皆の者、城に戻るんじゃ!! 彼奴らトカゲどもの目的が分かるまで城を留守にするわけにはいかん!!」

 老ブタの掛け声に呼応し、ブタ兵士たちが歩き始めた。 それも、隊列など組んでいないのに、一糸乱れぬ揃った動きで。 集団の中央を歩くのはブタの王。傷ついて歩けない仲間を運ぶ兵士もいる。 まるで無数の岩が山道を転がるように、ブタの集団は城へ向かって一直線に進む。 リカレンスとマーガレットはその圧倒される光景を眺めた後で、後を追った。


 城までの道中、雨脚はさらに強くなっていった。 あちこちにできた水溜りが、雨に叩かれて騒いでいる。 まだ日の入りには早いというのに、周りは真っ暗だ。

 ブタの怪物たちは城まで目前という所まで辿り着いた。 ここに来るまで、トカゲの怪物には一切会わなかった。

 それもそのはず。およそ五十体ものトカゲの怪物が城を包囲してこちらを待ち構えていた。 対してこちらのブタ兵士の数は、負傷兵を除いて三十体ほど。 城に残した兵はバラバラだったので、先ほど見せられたような集中攻撃で全滅しているだろう。 もともと兵士としての役目を与えられているブタは少なかったとは言え、今回の襲撃で壊滅しようとしている。 ただでさえ個々の強さで圧倒的に劣勢だったのに、数すら逆転されてしまった。 これでは迂闊に城に近づくことはできない。
「こんのトカゲどもめがぁ!! ワシらの城をよくも……今すぐ追い出してやるわああぁー!!!」

 老ブタが声の限り叫ぶ。その声を聞いたブタ兵士たちは、止めていた足を前へ進め始めた。

 その時、雨をかき分けるように、遠くから声が聞こえた。
「聞け、ブタども!」

 一瞬、雨の音が弱まった。城の方から放たれた声はこちらにいる全員にまで届いた。 城の上階のバルコニーに見えるのは、今まで見た中でも一際大きいトカゲの怪物だった。
「我が名はアウスト。今ここに、王位の交代を宣言する!!  我が王となり、我らトカゲたちがこの国を支配するのだ!  覚えておけ、貴様らの王をその座から引き摺り下ろした者の姿と名前を!!  そして能無しのブタどもには……ご退場願おうか!!」

 演説したトカゲの怪物は、右腕を挙げ、前に突き出し、ジェスチャーを始めた。 それは合図。城の前にいたトカゲの集団がこちらににじり寄ってきた。
「このまま城を渡すでないぞ!! 皆の者、突撃じゃあああぁー!!!」

 老ブタが叫ぶと、ブタ兵士たちはトカゲたちに向かって猛然と走り始めた。 城を奪い返すためとは言え、無謀な戦いを仕掛けている。 機動力では劣っていても重量はこちらが上なのだから、集団と集団で衝突すれば勝機はあるかもしれない。 そんなごく僅かな勝機を頼りに、城へと進んでいく。

 ブタの王や老ブタは、その突撃をただ見ているだけではなかった。 集団の中央やや後方で、共に前進していた。勝算が少ないぶつかり合いでも、共に戦おうとしていた。 王が兵と同じ戦場に向かっていた。 それはマーガレットにとってもリカレンスにとっても予想外だった。 何秒も遅れて、護衛のためにブタたちの後を追った。

 また雨が強くなった。

 突然、ブタの王の足元の地面が崩れた。足を取られ、転倒してしまう。 それだけで終わらなかった。すぐ近くにあった大きな水溜りが決壊し、崩れた場所へ一気に流れ込む。 泥がブタの王の体にまとわりつき、ぬめる。その巨体が雨水と一緒に滑走し始めた。

 リカレンスは止めようとしたが、足元が滑り、ぐらつき、思うように飛び出せなかった。 ブタの王の周りだけ異常に泥が滑るようになっていたのだ。

 足元には泥の道が作られていた。丘の上の城からそれを辿ると、滑り下りる先は川の真上の崖。 そこにはトカゲの怪物たちがいた。兵力はまだまだ大勢残っていたのだ。 彼らは巨大な岩を用意して待ち構えていた。ブタの王の体にも及ぶ凄まじい大きさの岩だ。 トカゲの怪物が十体束になって押して初めて動かすことができる。

 滑った勢いのまま、崖から川に向かって落下するブタの王。その上から落とされる大岩。 巨大な水飛沫が二度立て続けに上がった。岩はブタの王の背中に直撃した。 雨で増水した川は、泥や石までをも巻き込みながら、その巨体をいとも簡単に押し流してしまう。

 迂回して崖の前まで走ったリカレンス。ブタの王の姿を見下ろしたが、遅かった。 背中には大きな傷が開き、血がとめどなく噴き出して川を赤く染めている。 泳ごうとする様子もなく、ぐったりしている。

 後ろから老ブタとブタ兵士たちがやってきた。
「陛下っ!! 陛下あああああああああ!!! へ、陛下あああああああああああああああああ!!!」

 崖の上から王の姿を確認すると、より一層大きな声で叫んだ。 今すぐブタの王の元へ駆けつけたいが、身長の何倍もある崖から落ちるわけにはいかない。
「城はもういい! 陛下をお助けするんじゃあああああああ!!!」

 ブタたちは一斉に進む向きを変え、崖を下りる坂道を進み始めた。 しかしリカレンスは動かなかった。あの大きさの傷を負って濁流に呑まれてしまえば、助かる見込みは無い。

 リカレンスは状況を確認するため、城の方を見た。 その時既に、マーガレットは大きな影に捕まえられていた。ワシの怪物、スニアだ。
「このっ、放しなさい!! 何のつもりなの!?」
「いいから大人しく付いて来な。ここで殺させるなよ」

 固い鳥の足でマーガレットの両肩を鷲掴みにして、空へ飛び立つスニア。
「おい待て!」
「ヒヒッ。お前は自力でこっちに来い」

 スニアは城の方へ飛んでいき、バルコニーから城の中に入っていった。 先程演説していたトカゲの怪物、アウストがいた部屋だ。 スニアはどういうわけか、トカゲたちの味方をしている。 彼がマーガレットを連れて行った理由は分からないが、リカレンスはすぐにそこに向かった。

 雨の中を走るリカレンス。トカゲの大群を蹴散らし、薙ぎ払い、ひたすら進んでいく。

 ――進む理由は、ある。


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