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第12話 栄光へ誘う怪物

 トカゲの怪物たちのボス、アウストは謁見の間の玉座に座っていた。 同じ部屋にはトカゲの怪物が八体、二体ずつの組で部屋の各隅に配置されている。最低限の護衛だ。

 謁見の間にマーガレットが連れてこられた。 スニアが彼女の肩を掴んだまま部屋の中央へ飛び、そのまま落とした。 飛んでいた勢いのまま、床に投げ出され転がるマーガレット。
「来たか、人間」

 落ちた痛みに呻き、悶えるマーガレット。何とか痛みを押し殺し、周囲を確認した。 壁も床も天井もボロボロで煌びやかさの欠片も無く、とても謁見の間には見えない。 大きな椅子と広い空間だけが、ここが謁見の間であることを物語っている。
「全く、人使いが荒いこって。自慢の羽がずぶ濡れだぜ」

 スニアは羽にまとわりつく雨水を払いながらそう言った。
「クックック……あれだけ軽快に飛んでおいて何を言っているのだ」
「ふーん? 俺には地面を這いずり回る方がよっぽど簡単そうに見えるがな」
「いや、よくやってくれた。下がっていいぞ」

 アウストが促すと、スニアは城の奥へ歩き去っていった。

 マーガレットは息を整え、姿勢を正した。 左膝を立て、右膝を床に着け、アウストの足元に視線を向ける。
「ん? 何だ、やけに物分かりが良いじゃないか」
「……私は、このクーデターでは部外者ですから」
「クーデター? 妙な言葉を使うんだな。王を倒した者が王になる、それだけのことだろう?」
「…………」

 アウストは大きな椅子に座ったままふんぞり返っている。 今まで見たトカゲの怪物たちより背も高く、太い筋肉がさらに体を大きく見せている。 トカゲたちのボスに相応しい姿だ。
「まぁいい。まずは人間の女がなぜこの国にいるのか聞こうか」

 マーガレットはその言葉に逡巡した。 本当のことを言うべきなのだろうか。目の前の怪物を新しい王と認めてしまって良いのだろうか。
「この国の王の……いえ、軍の力をお借りするためです」

 ――とうとう言ってしまった。いつかは言わなければならないことだが、決心がつかなかったのだ。 もう洗いざらい喋るしかない。この機会が最初で最後かもしれないのだ。 最後の手段を使う時、決心する時は、今だ。
「私はこの国の隣、人間の王国から来た使者です。 リンガーフォード領主ラルフ・トムソンからの親書を届けに参りました。 今や我が国の女王は戦果を上げようと焦り、この国に大隊を送ろうとしているのです。 他の兵や民に戦意は一切無いにもかかわらず、侵略を強行しようとしています。 女王の圧政には誰も抵抗できず、我々が頼れるのはあなたたちだけなのです。 ここはどうか、お互いの平穏のために協力願えないでしょうか。 大隊の派遣に合わせて国境沿いに部隊を配置し、姿を見せつけるだけで侵略の意志は失われるでしょう。 女王の息も長くはありません。 この計画が成功した暁には、今後の国境の平穏と、兵の動員に見合った対価を納めることを約束します。 以上が、親書に記されている要請です。お納めください」

 喋りきった。ここまで抱えてきた重荷を、取り出した親書と共に、全て体から流し出した。

 その間、アウストは座ったまま静かに聞いていた。 返事を待つ時間が永遠のように長く感じられた。降りしきる雨の音が鼓動を早める。
「……なかなかに面白いことを言うのだな」

 最初の返事はそれだった。そんなことは分かっている、という激情を噛み殺して震えるしかなかった。
「いくつか質問をしなければならないな。まず、対価とやらは確実に渡せるんだろうな?」
「それは間違いありません。我が国の領内にではありますが、既に用意があります。 ここで約束して頂ければ三分の一を、計画を達成すれば残りの全てを贈らせましょう」

 ――対価として何が本当に相応しいかは分からない。金貨や香辛料などは価値を持たないだろう。 では肉などの食糧でいいのかと言えば、それもあまり賢くはないだろう。 対価の絶対量についても、どれだけ渡せば満足するのか見当もつかない。 しかし、今ここでそれを言う訳にはいかない――
「甘い言葉で我々を誘い出して一網打尽にでもするつもりじゃあないだろうな?」
「それは全く違います。見た所、国境沿いには王の息がかかった兵はおりません。 その状態で我が国の女王が大隊を派遣すれば、少なからず戦果が発生し、 さらに大きな争いを招く足がかりにされかねません。 そういった事態を未然に防ぐために、そちらの協力が必要なのです」

 ――国境沿いではトカゲの怪物の集団に襲われた。 トカゲたちが覇権を得る前だったのに、ブタの怪物はいなかった。 あれでは国境を守れない。重装備に身を固めた兵が大勢押し寄せれば突破されてしまうだろう。 そうなれば、女王は調子づく。女王を信奉し始める者まで現れるかもしれない。 そして怪物の国の本拠地まで乗り込んでしまおうものなら、その報復は全人類に及ぶだろう。 あの国境線は、どんなに脆弱でも超えてはならないのだ――
「姿を見せるだけで侵略の手を止める保証などあるのか?」
「それは、私達一団が割って入って取り持ちます。 お互いが近づかないように、停戦協定を結びましょう」

 ――独りでここまで来ておいて、私達一団とは説得力が無い。その上、人間たちの説得はぶっつけ本番だ。 そんな状態で停戦協定など――
「どうして人間どもでその女王を止められないのだ? 同じ人間だろう?」
「女王は代々受け継いだ強力な軍隊を、ほしいままに動かしているのです。 さらに王家の名を背負っている以上、兵士たち自身も逆らえません。 その武力を前に、反体制派も下手に動けなくなってしまっているのです」

 そう、人間の国は“王国”なのだ。王の座は必ず息子か娘へと受け継がれる。 どんなに道理に外れた振る舞いをしようが、王は王であり、逆らうことは許されない。

 逆に怪物の国は“帝国”なのだろう。 王の座は、王を打ち倒すほど実力のある者ならば誰でも手にすることができる。 王が王であり続けるためには、王を倒さんとする全ての者に勝ち続けなければならない。 人間の国もかつては“帝国”であった。 しかし人間たちは腕力だけが力ではないと考えるようになり、“王国”へと変わっていったのだ。

 ――こんなこじれた事情が、怪物たちに理解できるだろうか――

 静寂の中の問答の後、アウストが静かに立ち上がった。その顔には笑みが浮かべられている。
「ふむ。概ね分からないでもない。 こちらとしては、国境沿いに兵を置きさえすれば、それ以降人間どもの侵略を考えずに済むのはありがたい」
「で、では……」
「だが、最後の質問だ」

 アウストは歩き始めた。一歩、また一歩と、マーガレットの方へ向かって。 足音は重く、一歩ごとに床を蹴りつけるような衝撃が走る。その巨体が迫り、視界を覆い始める。
「お前は何者だ? この親書が本物と……お前自身の身分を証明できるのか?」

 息が止まり、汗が雫となって流れる。――それだけは絶対に答えられない。

 アウストは、マーガレットがずっと掲げていた親書を受け取り、 一読すると壁際のトカゲへ投げ渡した。

 その間も、その後も、何も答えられないまま、ただ時が過ぎ去っていく。

 雷が鳴った。

 扉が破壊される音とともに、リカレンスが謁見の間に突入してきた。 奇跡的に扉としての役割を果たせる程度に残っていた木製の扉が、ついに木端微塵になった。

 リカレンスが見たのは、部屋の中央にうなだれるマーガレットと、それを見下ろすように立つアウスト。 ――首がぐるりと回り、目が合った。

 リカレンスは駆けた。奇襲で上等だ。鋭く踏み込み、ほんの四歩で拳の間合いに入る。 足で床を掴み、腕を大きく振りかぶり、全ての体重をかけて拳を振った。 アウストの顔を目がけて拳が飛ぶ。

 が、避けられた。アウストは体を捻りもせず、数歩の足踏みで全身の軸ごと移動していた。 拳が背中の後ろを空しく突き抜ける。

 もちろんすぐに右腕を引き戻し、左腕でもう一度叩こうとする。 それは無理な体重移動であり、あまりにも遅かった。 重々しくも素早い足運びと共にぐるりと背後を取られ、掌底が背中を直撃した。 リカレンスの巨体が僅かながら宙に浮き、壁に向かって飛ぶ。 足を思いっきり伸ばし、床と足の摩擦で勢いを殺し、壁を目前になんとか止まり、そして振り返った。
「いきなり仕掛けて来るとは思わなかったぞ、リカレンス。そんなに王の座が欲しいのか?」

 再び跳ぼうと構えるリカレンスを尻目に、ほくそ笑んだまま語りかけるアウスト。 スニアと同じく、リカレンスの知り合いなのだろうか。
「黙れ。その人間を殺すな」
「何だ、やっぱり殺して欲しくないのか? ……変わらないんだな、お前も」
「お前に言われたくはないな。あちらこちらにトカゲをばら撒いたりして、あれもこれも計画の内か?」

 周りのトカゲたちはその場を動かない。巻き込まれまいと構えてはいるが、自分の持ち場に留まっている。

 アウストはリカレンスの方へ向き直った。
「俺の計画はまだ始まったばかりだ。この国を支配するにはまだ足りない。何もかもが、全く、足りない」

 肘は曲げたまま両腕を広げた。来る者を迎え入れるポーズだ。
「だからお前を俺の部下として働かせてやりたいのだ。報酬は弾むぞ」
「……何だと?」
「まあ聞け」

 アウストはマーガレットのそばを離れ、語りながらバルコニーの方へ歩き始めた。
「俺は“あの時”から、この国を一つにまとめる必要性に気付いたのだ。 いくら王の座を手に入れても、王城コロニーを一歩離れれば周りは敵だらけだ。 こんな状態で、繁栄を続ける人間共と並び立てる国が作れる訳が無い」

 バルコニーからは大雨が入り込む。アウストがあと数歩進めば足がずぶ濡れになるほどだ。 しかし、丘の下にある王城コロニーを見下ろすには十分な立ち位置だ。
「俺はトカゲたちを集め、この城のすぐ近くに潜伏した上で、二百年の間鍛錬を続けた。 それでも兵士として満足に戦えるまで育ったトカゲはほんの百数十体程度だった。 だから俺は新たに作戦を練った。 まず帝国各地のコロニーや国境付近の者を無差別に襲撃し、恐怖心と警戒心を教え、 誰も王城コロニーに向かわないように仕向けた。 その上で、あの成り上がりのブタの王を罠にはめて殺した。 現にお前以外は誰も王に加勢しに来なかっただろう?」

 アウストは右手を王城コロニーに向け、掴み取るような動作をしたかと思うと、突然笑い始めた。
「そして、今……今!! クックック…………ケケッ……ケーッケッケッケ!!!  ついに俺は、この城で王の座を手に入れたのだ!! ケケケーッ!! 全ての計画はここから始まる!  この国の全てを支配するために、まだまだ戦える駒が必要だ! ケッケッケ!」

 アウストはそう叫ぶと、リカレンスとマーガレットのいる方へ再び歩き始めた。
「リカレンス、お前を部下に引き入れる事は最初から決めていた。俺と共にこの国を動かそうじゃないか」
「それはとんだ見込み違いだな。俺はもう誰の下にもつかない」
「やはりそう言うのだな、お前は……ケケッ、本当に変わらないな」

 アウストの表情から笑みが消えた。両腕を前に向け、戦う構えに入った。
「俺は頼んでいるんじゃない。これは王の命令だ」
「それでも断る」
「断ればそこの人間を殺す、と言ってもか?」
「……殺させない」

 リカレンスも再び戦う構えに入った。

 アウストがリカレンスの横を目がけて跳躍した。そこにいるのはマーガレット。 リカレンスはすぐに庇うように割って入った。
「良いぞ! ケケッ! せいぜい足掻け! できるものならな!」

 アウストの剥き出しの爪がリカレンスの拳とぶつかり合う。 爪が拳の肉を掻き分ける。拳が爪を握り砕く。そのまま止まり、お互いの血液が辺りに飛び散る。
「ケケッ! 大人しくひれ伏せ! お前が俺に勝てる訳が無い!」

 アウストは腕を引いてリカレンスの拳を引き裂く。 そして即座に膝で腹を蹴り、足の甲を踏み抜き、逆の手から爪の一撃を叩き込む。 爪が肩から腰までを一気に切断した。体の奥底から血が噴き出し始める。
「はああああああああっ!!」

 リカレンスは叫び、全身に力を込めた。すると、噴き出していた血液が空中で向きを変えた。 全ての血液が宙に弧を描き、元の血管へと吸い込まれていく。 落ちた半身も飛び上がり、傷口にべっとりと張り付いたかと思うと、切断される前の状態まで戻ってしまった。 元に戻った腕を伸ばし、アウストの左肘を掴んだ。一気に力を加え、そのまま腕を引き千切って落とした。
「ケケケッ! お前の再生能力は厄介だ。だが、まさか忘れちゃいねーよなぁ?  その能力は俺にも備わっているんだぜぇ!」

 アウストの肩があった傷口から、肉の腕が飛び出すように生え、直後に元の乾いた肌に包まれた。 握り潰した爪も元通りの鋭さを取り戻した。落とした腕とは別に、新たな腕が再生した。 そしてその腕はすぐにリカレンスの肩を掴み、肉をこそぎ取った。
「くっ……前より強くなっている……」
「そうだ! ふらふらと遊んでいたお前とは違う! 地獄のような二百年間を経て俺はここにいる!」

 リカレンスは何度も拳を打ち込んだ。 しかしアウストは俊敏な足運びで避け、爪の攻撃で弾く。全く有効打が入らない。

 アウストはすぐに反撃に出た。 後ろに短く跳んだかと思うと、次の踏み込みで一気にリカレンスの頭上を飛び越えた。 真上を過ぎる瞬間、体を回転させたままの勢いで爪の斬撃を浴びせ、首から胸までを八つ裂きにした。 リカレンスの首や腕から肉片がはがれ落ち、血が溢れ出る。
「勿論、再生能力のことは知り尽くしているぞ! その弱点もな!」

 再び再生を試みるリカレンス。しかし、残った下半身がアウストの爪の一撃で分断された。 体に戻った血液が別の傷口から再び外に出てしまう。 ようやく上半身だけが元に戻った時、またもアウストの爪の攻撃が飛ぶ。 腹の傷口を足代わりに立った状態で、なんとか両手で攻撃の手を掴み取った。
「再生が終わるまで、戦う力を失ってしまうことも――」

 腕を掴み合っているものの、アウストには両足がある。 蹴りが頭に炸裂し、首が半分裂けて頭が背中側へと垂れ下がった。 それでも蹴りの連打は止まず、ついに両腕までもが肩から外れた。

 今度はリカレンスは再生しない。頭から胸にかけては元に戻そうと動いているが、他の部分が動いていない。 噴き出す血が止まらない。
「再生を繰り返すと疲労が溜まっていくことも――」

 アウストが地面を蹴った。床の石材がまるで厚いだけの布のように捲れ上がる。 その破片をリカレンスの肉塊の上に蹴り落とした。肉塊は血飛沫と共にビクリと跳ねたが、すぐに動かなくなった。
「他の物で潰しておけばほとんど再生できないことも―― 俺は、全て、知っているんだ! ケーッケッケッケッケッケ!!」

 高笑いするアウスト。対してリカレンスの体は頭部と胸部だけになり、息も絶え絶えだ。 戦おうにも、四肢が無ければどうにもならない。言われた通り、再生する余力も残っていない。

 壁際まで下がっていたマーガレットは、あまりに凄惨な光景を前にして完全に竦んでいた。 剣に手をかけることすらできなかった。
「さて、俺との力の差がよく分かっただろう? もう一度言おう。俺の下で働け。 そうすれば、この人間の安全は保証しよう」

 アウストは顔をリカレンスの顔に近づけながらそう言った。

 マーガレットははたと気づいた。――自分は、交渉材料にされているのか。 自分が戦えないから、リカレンスは要らぬ苦戦を強いられているのか。 もしも自分が戦えたならば――

 立ち上がり、剣を抜き、逆の手に鞘を持ったまま、マーガレットは構えた。 自分は戦える。そう訴えかけるように。眼差しだけがその意志を映し、しかし声は出なかった。 全身が恐怖に震えていた。
「……人間、何をしている」

 心の中の冷静な部分で理解はしていた。 自分は今、血迷っているのだと。自暴自棄になって、命を投げ打とうとしているのだと。 しかし、どうしても理性的になれなかった。どうあっても直情的で、どこまでも無鉄砲。 そんな自分が信じられなかったが、それでも現に今自分はそう動いている。――それが、自分なのだ。
「私の、身の安全なんて……保証されるまでも無いわ。 ……この銀の剣を見なさい。この剣は、お前達怪物を殺すためだけに作られた特別製。 これで一突きするだけで、お前の命は……」
「おい人間、下手な真似はよせ。お前に死なれてもらっては計画に支障を来すのだ」
「良い事を、教えてくれるのね……。願ってもない。そうなれば、本望よ……!」
「おいおい……待て!」

 マーガレットは剣を振りかざし、アウスト目がけて走り出した。 リカレンスの再生能力を封じた銀の剣。アウストにも同じように効果があるに違いない。 それはお互い分かっていた。だからこそ、アウストは身構えた。マーガレットの動きを警戒した。 うっかり殺してしまわないように。

 マーガレットは剣を振った。しかし、間合いは大きく開いていた。 わざと大袈裟に動きながら、うまく足を滑らせて、ゆっくりとしか進まなかったのだ。 ――これはフェイント。この行動がどう転ぶかは成り行き次第の運任せだ。

 まさか、とアウストが思った時には既にリカレンスがそこに立っていた。 全身の血肉を皮一枚でなんとか繋ぎ止め、二本の足で立ち、腕を伸ばしていた。 その腕でアウストの胴体を掴み、動きを止めた。

 もちろん、それだけではまた腕を切り裂かれて終わりだ。しかし、今は違う。 マーガレットもアウストも予想だにしていなかった事態が起きた。

 巨大な岩の塊がアウストめがけて飛んで来た。 岩はその速さのまま、アウストの上半身を持ち去るように吹き飛ばした。

 バルコニーの縁に立つ影。それは間違いなく行商人のジャスミンだった。 確かにトカゲたちは各地の怪物たちに釘を刺して援軍を封じた。 しかしその策略も、全くの無所属である彼女には関係のない話だった。

 ジャスミンの背後からは、無数の黒い大岩の連なりが何かに引きずられるように謁見の間に入り込んできた。 これが彼女の言っていた“ゴーレム”なのだ。言うなれば岩石の怪物。 無数の石が一つの意思に従って動くことで、一つの生物として成立しているのだ。
「お嬢ちゃん、そろそろ門限の時間よ。死にたくなければこっちへおいで」

 ジャスミンは嫌に妖艶な仕草で手招きした。 マーガレットはとても承服できなかったが、迷いを振り切るようにジャスミンのいる方へ走った。 この現状を打破できるなら何でもいい。少しでも希望がある方へ走るだけだ。
「ぐっ……兵士、あの女を片付けろ!」
「イェッサー!」

 アウストが叫ぶと、周りにいたトカゲの怪物たちがバルコニーへ向かって走り始めた。 その動きは素早く、マーガレットの行く手を阻むように割り込む。

 その時、大岩の連なりがうねり、二本の腕となって追っ手を薙ぎ払った。 トカゲたちの体が次々と宙を舞う。誰一人マーガレットに近づけない。
「ゴゴゴォォォォォー!」

 マーガレットを守るように岩の腕が回り込む。何者かの唸り声のような轟音が響いた。

 走るマーガレットを止められる者はもういない。 すぐにバルコニーまで辿り着いた。
「悪いのだけど、ジャスミン……どうしてあなたがこんな所まで来たの?」
「こっちこそ悪いけど、あんたがここで出来る事はもう無いわ。 全ての状況が一週間前とは変わってしまっている。あんたは戻るべきなのよ。だから迎えに来たってワケ。 ……長話は後よ。さぁ、こいつに乗りな」

 指さした先にあるのは、岩石の怪物。 地面から三階のバルコニーまで届くように体を思いっきり伸ばしているのだ。 その姿はまるで前に見た巨大なムカデの怪物のようだ。
「でも、まだ交渉することが残っているのよ!」
「その事も全部分かった上で言ってるの。今は私を信じなさい」
「……でも!」
「あー、乱暴はしたくないんだけどねぇ……仕方ない。ソリッド!」

 ジャスミンが呼びかけると、岩石の怪物が手を伸ばしてマーガレットの体を掴み取り、そのまま持ち運んだ。
「うわあっ! リ、リカレンス!」

 謁見の間の方を見た。アウストの半身を押さえつけているリカレンスがいたはずだが、 既にリカレンスの体は再びバラバラに切断されていた。 完全に元通りの体で立っていたアウストだったが、こちらを追ってくる様子は無い。 その顔に笑みを浮かべ、静かに見送っていた。

 岩石の怪物――ソリッドに運ばれ、マーガレットとジャスミンはみるみる城を離れていく。 王城コロニーにトカゲの怪物たちが押し寄せ、ブタやネズミたちが追い出されていく様が見えた。

 黒い雨雲に隠れていた太陽が沈み、雨粒さえも闇に紛れていった。 その雷鳴は、新たな王への喝采か。それとも、これから起こる動乱の警鐘か――


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