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番外 第17.5話 Gift:服従

 「うっ……ゲホッゲホッ! ……息が……できる……じゃと?」

 ネズミの怪物のボス、ハーティ。彼が気付くと、何も無い真っ暗闇の中に居た。 意識がひどく朦朧としていたが、すぐに立ち上がることができた。

 本当に何も無い。何も見えない。辺りに手を伸ばしても何も掴めない。地面にも何の感触もない。 自分は今二本の足で立っているはずなのに、何故かそこが地面ではないようにしか思えない。
(何なんじゃここは……わしは一体……)

 考えかけて、思い出した。 自分はワシの怪物に蹴り飛ばされた末に、トカゲの怪物に腹を踏み潰されたのだ。 意識がはっきりとしてきた。しかし、現状こうして立って歩いている。間が繋がらない。
「だ、誰か! 誰かおらんか! ここは何処なんじゃ!」

 その叫び声に答えたのは、低く、冷たく、そして岩よりも重い声。
「ここは私が迷える子羊を導くための場所でございます。 そして貴方は私の大事な招待客……」
「誰じゃテメェは!」

 語りを遮って叫ぶハーティ。すると眼前の暗闇から照らされるように一つの人影が浮かび上がった。 長身な人間の男性のような姿で、手首から足首まで黒い服で身を包んでいる。 しかし鼻や目にヤギのような動物の特徴を残しており、二本の黒い角まである。 銀の髪、赤い目、そして骨のように真っ白い肌。 無表情のまま、こちらを高くから見下ろしている。
「私の名はギフト。貴方に真の救いを授ける者でございます」

 その不気味な姿に内心怯えたハーティだったが、それでも全身全霊で威嚇し続けた。
「御託はいい! どこのモンじゃ、言うてみい!」
「どこの、と申されましても。強いて言うならばただの浮浪者。……しかし、それは貴方も同じこと」
「このわしが浮浪者じゃと!? 何を言うか! わしは220万のネズミたちの――」
「おや、まだ理解されていないのですかな? ……まぁ、それでも構いませんか」

 ハーティの話を無視して、独り言のように呟き始めるギフト。
「無視かテメェ!!!」
「私は貴方の敵ではありませんよ。ただ、あなたの願いを一つだけ叶えたいのです。 あなたの願いをお聞かせ下さい」
「願い……じゃと? ふん、下らん!  願いがあれば自分で叶える! それが220万のネズミたちのボスたるわしの生き様よ!」
「何でも良いのですよ、何でも。何でも一つ仰っていただければ、私が必ず叶えて差し上げます。 ただ一つ限りなので、できるだけ大きな望みが良いのではないでしょうか」
「ふざけとる! そんなことができれば誰も苦労せんわい!」
「……何の望みも無い、と?」

 ハーティは考えを巡らせた。――目の前の何者かを信用することは絶対に有り得ない。 しかし、自分には望みがあったはずだ。 ここで目を覚ます前、その望みを抱えて砦の外まで走ったはずだ。 少しでも叶う可能性があれば飛びついていたはずだ――
「わしの望みは、ボスとして誰からも認められることじゃ。 あのブタの王をも影から従わせたわしならそれができる! あのトカゲどもも、他の獣どもも完全に従わせる!  例外無く全ての者をわしに従わせる!  もう名前だけのボスとして敵にも味方にも悩まされ続けるのはこりごりじゃ!」
「フフ……フフフ、良い、実に良い。ではその望み、叶えて差し上げましょう!」

 ギフトが両手を広げると、暗闇の遥か彼方から七色の光と叫び声のような音が渦巻きながら押し寄せてきた。 また体の感覚が抜け、頭が真っ白になった。

 ハーティが再び気付くと、コロニーの砦の中にいた。 いつも自分が居たボスの部屋。目の前では部下たちが頭を下げて自分を敬っていた。

 ハーティはその状況をほとんど理解できなかったが、試しに何か言ってみることにした。
「……腹が減った。何か食わせろ」
「アイサー!」

 ネズミたちが機敏に走り回ったかと思うと、目の前に次々と食べ物が運ばれてきた。 どれをとっても自分の好物ばかりだ。思わず涎が垂れた。
「……暑い、扇げ」
「アイサー!」

 ネズミたちが木の皮で作った団扇を使って風を送ってきた。強すぎず弱すぎず、丁度いい塩梅だ。

 ハーティは目の前の食べ物を手短につまんだ後、見張り台まで自分を部下に運ばせてやって来た。 下を見下ろすと、砦の正面広場に大勢の獣や怪物たちが集まっていた。 国中の全ての者がそこに居た。皆、ネズミたちと同じように頭を下げて自分を敬っていた。
「…………カーッカッカッカッカッカ!! これじゃ、これがわしの望んだ世界じゃあ!  本当に言った通りになっとるじゃないか!」

 ハーティは大笑いしながら広場まで駆け下りた。 長い階段だったはずが、あっという間に下まで辿り着いた。
「おいこのトカゲ野郎!」

 トカゲの一団の中で一際目立つ大きなトカゲの怪物を見つけるやいなや、その下がっていた頭を掴んだ。 彼こそまさにトカゲの怪物のボスである。
「貴様のせいでわしは死ぬ思いをしたんじゃ! 今すぐ自分で首を掻っ切って死ね! 今すぐじゃ!」
「アイサー!!!」

 トカゲのボスは狂ったように眼と口を大きく開いてそう答えると、すぐに自分の爪で自分の首を切り落とした。 地面に転がるトカゲの生首を見たハーティは、笑わずにはいられなかった。
「カッカッカッカッカァー!! 他のトカゲ共も、さっさと首を掻っ切れ!  わしの世界にテメェらなんぞ必要無いわ!」
「アイサー!!!」

 トカゲの一団全員が同時に叫んだかと思うと、たちまち辺りの地面はトカゲの生首で埋め尽くされた。
「カーッカッカ!!! やったぞ、ついにやった! わしに不可能は無いんじゃあ!」

 動物や怪物たちが集う広場で、ハーティは叫んだ。その叫びがどこまでもこだまする。 広場の誰もが、彼の命令を受けるのを今か今かと待ちわびているのだ。
「おい、そこのテメェら! 貢物を持って来んかい!」
「アイサー!」

 小さい人型の怪物の一団に向かって叫んだ。 走り去ったかと思うと、すぐにどこからともなくコロニーの特産品である果実や野菜を持って来た。 ハーティ好みの珍しくも美味しい食べ物だった。
「おいテメェ! 何か踊ってみせろ!」
「アイサー!」

 獣の一団に向かって叫ぶと、軽快なステップで踊り始めた。ハーティ好みの愉快な踊りだった。
「おいテメェ! とにかくそのツラが気に入らねぇ、殴らせろ!」
「アイサー!」

 見慣れない鳥の怪物に向かって叫び、その顔を殴った。ハーティ好みの惨めな痛がり様を見ることができた。
「………………」

 ハーティはこの変わり果てた世界に心から満足していた。

 ……はずだった。
「おいテメェ。わしに従う理由を言ってみろ」
「アイサー!」
「………………」
「………………」
「……は? 聞こえなかったのか? なぜわしに従うんじゃ? あ?」

 声をかけたネズミの怪物の一人は何も答えなかった。ただハーティの命令を待ち構えるだけだった。
「なんとか言えやぁ!」
「アイサー!」
「そっちのテメェはどうなんだ!? なぜここに居る!? 理由を言ってみろ!」
「アイサー!」
「そこのテメェ! 息を止めていろ、わしが良いと言うまでだ!」
「アイサー!」

 適当なネズミの怪物にそう言うと、本当に息を止め始めた。 ハーティが何も言わなかったのでそのまま倒れてしまった。ハーティ好みの滑稽な最期だった。
「……テメェ、隣のネズミを殴り飛ばしてみろ。できるものなら――」
「アイサー!」

 命じるやいなや、ネズミの怪物は隣のネズミを殴り飛ばした。 殴られた方はハーティ好みの惨めな動きでのたうち回っていた。 ……彼らは親友同士であったはずだ。少なくとも、世界がこうなるまでは。
「……そうか、そうなのか……」

 ハーティはそう呟くと、次の命令を口にした。
「おいテメェ、……わしを殺してみろ」
「アイサー!」

 自分の護衛だったネズミの怪物は眼と口を大きく開いてそう答えた。 そこからは一瞬だった。首が飛び、視界が回転した。ハーティ好みの、痛みのほとんど伴わない死に方だった。

 死ぬ間際、周りの光景がはっきりと見えた。 誰も彼もが、次の自分の命令を今か今かと待ちわびている。 つい先程までと全く同じように、目を輝かせて、頭を下げて、じっと待ち続けている。

 最期に一言言えたならば、ハーティは呟いただろう。下らねぇ、と。


「彼は全ての者が自分に従う世界を望んだ。 全てが自分の好きなように動かせる世界を望んだ。そして手に入れた。 しかし最後には自分から手放した。せっかく手に入れた“自分だけの世界”を。 私には彼がそれを心底楽しんでいるように見えたが、どうして突然手放したりしたのだろうね。 私が思うに、彼は自分の望みを自身の頭で正しく理解していなかったのだろう。 真の望みを見出だせたならば、真に満足できたのかもしれない。 いや、あるいはあの言動とは裏腹に、そもそも大した望みは持っていなかったのかもしれない。 だとしたら……アテが外れたな。私自身が感じていたよりも長い時間休みすぎたようだ。 だが、まぁ仕方あるまい。 私は彼とは違って、せっかく手に入れたものを手放したりはしない。 貴方の魂、確かにここに。 それでは――いただきます――」


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