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第14話 境を越える怪物

 ここは人間の国と怪物の国との境。 人間の国の北西端にあるトムソン領リンガーフォードのさらに北西の外れ。 石を積んで築かれた長城が広大な高原を分断する。その高さは人間の背丈と同じくらいだ。
 この長城は国境線を示すためだけの飾りではない。 怪物がひしめく大森林を目の前に見据え、常に兵士たちが戦闘準備に勤しんでいる。 人喰いの怪物たちは何の突拍子も無くやって来ては、人間をまっすぐ狙って襲いかかる。 この長城付近でその撃退を任されているのが、彼らトムソン兵団だ。 日々怪物と戦い続けることで、対怪物戦の戦術と技能を極限まで高めたスペシャリスト集団。 この地とそこに住む人々を守るため、日夜戦い続けているのだ。

 その日の夜、日没直後、また怪物の影が見えた。 数は六体。姿はオオカミそのもの。体は人間よりも一回り大きい。 体毛は黒く、松明に照らされてもなお闇に溶け込む。 目に狂気を、牙に飢えを、爪に殺意を光らせながら猛然と長城へ走っていた。 ここではそれが日常であり、正常である。
「マイケルズ兵士長、報告します!」
 長城に臨む駐屯所の中で声が響く。 待機番の兵たちはそれに耳を傾ける。 既に外から鐘の喧騒がひっきりなしに届いているので、場は静寂と緊張に包まれていた。
「怪物出現の信号を確認! 北北西エリアのみに六体、危険度はB!  オオカミ型の四足歩行の怪物です! 直ちにご命令を!」
「またBなのか……ここの所毎日じゃないか?」
 兵士長ジェイムズ・マイケルズは席に座ったまま、元々渋い顔をさらに渋くする。
 報告は確認程度のものだ。 司令室にいても鐘の音がけたたましく聞こえる。 鐘の音が重いほど危険な怪物が、鐘の音の数が多いほど沢山やって来ると分かる。 危険度Bとは、超大型の獣や猛禽類が該当する。 さらに巨大な怪物や人型に近い怪物が来れば危険度Aとなる。 姿は普通の獣と大差無いが積極的に人喰いをする怪物は危険度Cだ。 普段は危険度Cの怪物ばかりなのだが、最近になって傾向が変わっている。
「……ご命令を!」
「私が命令することは特に無い。訓練通りの対応で十分だろう。なぁラルフ殿」
「うむ。まだ日没から間もないですからな」
 ジェイムズの席の横で椅子に座っていた壮年の男が頷いた。 彼こそが、ここリンガーフォードの領主ラルフ・トムソン伯爵である。
 報告係はその悠長な対応に面食らった。
「よろしいのですか!? 危険度Bの怪物が六体も集中すれば、先日のように甚大な被害が……。 それに日没とは何の関係が……?」
 ジェイムズとラルフは目を合わせるとニヤリと笑った。
「君は私の指示を仰ぐのは初めてかね? そこまで言うなら、例の彼らを迎えに行ってやってくれ」
「例の……彼ら……!」
「ああ。もっとも、無駄足に終わるかもしれないがな」
「いえ、私が迎えに上がりましょう! 失礼いたします!」
 報告係は部屋を飛び出していった。
 ラルフは椅子から立ち上がり、窓から国境の方を見た。
「これはまた一段と元気の良い兵がいたものですな」
「私が手塩にかけて育てた兵ですから当然ですよ」
「しかし……おやおや、やはり無駄足だったようですな」
「フフフ。さすがの我々も、彼らには敵いませんね。 ラルフ殿、ここは我々に任せて、そろそろお休みになられてはいかがですか?」
「いいや、任せる訳にはいかん。私には彼らの戦いをこの目で見ておく義務があるのでな」
「確かに、今日のは大物ですからね。良い物が見られるでしょう」
 二人の上官は窓の前に並び立ち、穏やかな表情で長城を見ていた。


 日が沈んで暗くなり始めている中、長城全体が松明の灯りで赤く照らされている。 巨大オオカミたちは猛然とこちらに向かって走りながら、無数に乱れ飛ぶ弓矢を尽くかわしている。 そして長城のすぐ前まで到達していた。 長城の上辺は人の頭よりも高いが、大型獣たちはこれを容易く飛び越えるのだ。
「第一ライン、通過されました! 長城に侵入されます!」
「レベルB六体、依然集中!」
「弓兵部隊、撃ち方やめ! 重装歩兵部隊、槍兵部隊、構えて待て!」
「構え!!」
 長城の上に立っていた大勢の弓兵たちが一斉に下がり、代わって超重装備の歩兵たちが前に出た。 手にはそれぞれが長剣、槍、盾などを選んで持ち、全身をぶ厚い鎧に包んだ屈強な男たち。 今回最前線に集まったのはおよそ三十人。
 これは怪物たちを相手にするべく編み出した苦肉の策だ。 怪物たちは凶暴さもさることながら、数の多さも底知れない存在。 こちらの戦力を極力減らさずに日々戦い続ける必要がある。 そこで噛まれないようにすることを第一に考え、強力な装備をふんだんに使って守りとリーチに特化したのだ。 おびただしい量の弓矢で先手を打っていたのも同じ理由だ。
 オオカミたちが長城を飛び越えてきた。 待ち受けていた重装歩兵たちは一斉に刃を突き立てる。 一体、また一体と刃で貫くことに成功するが、残り四体はするりと避けて突っ込んできた。 刃を受けたオオカミも、血を吹きながら怯まず飛びかかってきた。 長剣が弾き落とされる。鎧に牙が突き立てられる。 鋼鉄で守りを固めているはずなのに、オオカミの牙が折れることはなかった。 兵士たちはその突進で転ばされてしまった。
 硬い重装歩兵たちを食べるのは無理だと踏んだのか、 オオカミたちは一転、リンガーフォードの町の方へ向かった。 ただでさえ人間では到底敵わない速度で走るのに、重装備兵たちに追えるわけがない。
 それを阻止するのは、第二線の槍兵部隊。こちらも重装備なのだが、最前線ほど分厚くはない。 しかし逆に隊列を分厚く組み、数の利を制して攻撃を仕掛けるのだ。 その数およそ三百人。その最前列から十重二十重の刃が一斉にオオカミたちに向かう。
 オオカミたちは槍の刃をいくつもまとめて噛み、そのまま槍をへし折った。 兵士たちは怯まない。刃の折れた槍を振って牽制しながら左右に散らばり、後列の兵の前進に備える。 何度も噛まれそうになりながら、必死で持ちこたえた。 しかしこんな弱々しい抵抗は数秒すら持つものではない。 いつどの瞬間に腕が無くなってしまうか分からないのだ。それでも彼らは逃げずに戦い続ける。
 その時、後ろから声が飛んだ。
「テヤアアアアアアアァァァァァァァーーー!!!」
 甲高い声が戦場に鋭く響いた。 その主を見上げた兵士たちは驚いた。人間が、ぐるぐると回転しながら空を跳んでやって来たのだ。 その人間は、兵士たちとオオカミたちの間にピタリと直立する形で着地した。 異国風の黒髪の少女だった。カラフルな布を重ねた服を着ただけで、一切の武装をしていない。 それでも彼女は不敵に笑い、四肢をあちこち曲げて奇妙なポーズを取った。
「サァ怪物、かかって来るネ!」
 オオカミが黒髪の女に三体一斉に噛みかかって来た。 それぞれ首、右手、左足を狙ってまっすぐ飛んできた。 少女はそれを舞うように身を翻してかわしながら、腕と足で一息にはたき落とした。 蹴りとチョップが下顎や額を正確に捉えていた。 かと思うと左足で着地して、右足の連撃でオオカミたちを順に蹴り飛ばした。 あまりの早業に、兵士たちは声を上げる暇もなかった。
「ちょっとすまんね、通してくれよ」
 後ろから兵士たちの間を縫うように、兵士たちですら見上げるような屈強な大男が現れた。
 蹴り飛ばされるオオカミとすれ違うように、また二体のオオカミが走ってきた。 少女は身構えたが、その必要はなかったようだ。
「オスカー、遅いヨ!」
「いやあ、混んでいたもんでなぁ。だが遅れは取り戻すぜ!」
 金褐色の髪の屈強な大男。鎧を纏い、身長と同じくらい長い槍を持っている。 にもかかわらず、その槍を片手で担ぎながら軽快な足取りで黒髪の少女の前に出た。
「うおおおおっっっらあああああああ!!!」
 大男は一旦溜めた力を解放し、槍を横に振った。それはただの槍ではない。 それが槍と称される理由は先端の刃だけ。それさえ無ければメイスと呼べていただろう。 先に備わる巨大な鉄塊が直撃し、オオカミたちの骨を砕きながら体を弾き飛ばす。
「どうよ、俺様の恐るべきパワーは! がはははは!」
「おおー、珍しく命中したネ。明日は雪でも降るカ?」
「やかましい! 見てろ、次も当たるんだからよぉ!」
「えぇー、ワタシも戦いたいヨ!」
 大男は再び槍を構えた。槍を当てたオオカミたちは見るからに再起不能だ。 黒髪の少女が蹴ったオオカミたちは起き上がり、残るは四体。 倒れた仲間には目もくれず、人間の肉だけを狙って睨みつけてくる。
 オオカミたちは全員すぐに駆けて来た。こちらも身構え、それに備えるだけだ。
 と言っても、備えるという手順は既に終わっていた。 長城の上を颯爽と横切った人影が、オオカミたちの背後へ飛び込んだ。
「……待たせた」
「ルイス! 待ってたヨ!」
「いいぞ、やったれぃ!」
 その黒茶色の髪の青年は、剣でオオカミたちを斬った。 そこにいた兵士たちに確認できたのはその事実だけだった。 空中からの縦一閃で一体を真っ二つにしてから着地したかと思うと、 続けざまに目にも留まらぬ連撃で一体残らずバラバラに切り裂いたのだが、 一連の動き全てを理解できた兵士はいなかった。 速度、力、正確さ、淀み無さ、隙の無さ、全てが人間離れしていた。 それは先に現れた二人の能力すらも凌駕していた。
 今度はローブを纏った青年が、兵士たちの後ろから歩いてきた。そして三人に話しかける。
「上手く行ったようですね」
「……そうだな」
「フンッ。これくらいなら俺様一人でも倒せたろうになぁ」
「ワタシ一人でも余裕だったネ」
「またそんなことを言って……。結果論でモノを言うのもいい加減にして下さい。 敵の行動が分からない以上、気を引きつつ包囲と不意打ちが可能なこの策が最善だったでしょう。 それなのに二人は相手を刺激し過ぎなんですよ。 あんな真正面から打ち合うような策じゃなかったはずですよ。 ルイスの到着がもう少し遅れていたらどうなっていたか、分かっているんですか?」
 ローブの青年は早口でまくし立てる。大男と少女は相変わらず笑顔だ。
「いやいや、これはそういうのじゃなくてだな。勝利の決め台詞っつーか何つーか……」
「マァマァ、うるさい事言う事なし、全て良ければ終わり良し、ネ」
「はぁ……あなた達は何でいつもそんなに気楽でいられるんですか」
「……だが、ロバートはこの事も計算に入れていたんだろう?」
「そ、そりゃあ、まあ。と言っても、皆さん結構単純だからそこまで難しくもないですけど」
 その言葉に反応し、大男が突然槍を構え直した。
「んんんんっ!? 誰が単細胞の馬鹿だってぇえ〜!?」
「言ってない! 言ってないですから!  そのネタいつまで引きずる気ですかオスカーさんは! 僕は一度も言ってないのに!」
「俺は単細胞なんかじゃねぇ……ちょっとばかし人より単純なだけだ!!!」
「それ、僕が今言ったことと同じですよね!? 怒る理由が一切ありませんよ!?」
 黒髪の少女が首を傾げた。
「あれ、さっき単細胞って言ってなかったカ?」
「メイユエさん、分かってないなら話をややこしくしないでください」
「……おい、そろそろ宿に戻るぞ」
 剣士の青年が会話を断ち切った。
 見れば、足元には怪物の死体が転がっている。 国境防衛の兵士たちは四人の登場からずっと呆気にとられたままだ。 四人は、面倒なやりとりが発生する前にと、そそくさと立ち去ることにした。
 だが、隊列を横切る瞬間に行く手を遮られてしまった。
「あなたたち、その技をどこで!? 誰に教わったんですか!?」
「ここで働いてはくれんかね! 報酬ならマイケルズ兵士長に掛け合いますぞ!」
「南部で山賊どもを相手に百人斬りをしたというのはあなたたちですよね!? あの噂は本当ですか!?」
「そんな槍見たこと無いですよ! ちょっと持ってみたいんですけどよろしいですか!」
「お嬢さん、東洋人ですよね! どうしてこんな辺境に? 宜しければ今度お茶でも……」
「猛獣の群れの中に放り込まれても一瞬で薙ぎ払ったとか、 重税で民衆を苦しめた悪しき領主を追い詰めたとか、 色んな噂を聞きましたよ! もっと他のエピソードもお聞かせ下さい!」
「あの王家騎士団団長との戦いでは互角に渡り合ったとか! 一体どんな戦いだったんですか!?」
「あなたほど強い方は初めて見ましたよ! どうか次の訓練に顔を出して頂けないでしょうか!」
 兵士たちが一斉に、しかも揃って大声で質問攻めにしてきた。 同じ事はここに来るまで既に何度も体験したが、慣れられるものではない。
 得意の体術も使いながら何とか振り切って宿に帰った頃には、 怪物を倒した直後の何十倍も疲労していた。 ――また出発の日が遠のきそうだ。


 その一部始終を見ていたジェイムズとラルフは、別れ際に語った。
「見込み以上……でしたな」
「うむ。彼らならきっと使命を果たせるだろう」
 民衆の英雄であり王国最強の剣使い――ルイス。
 怪力自慢たちの頂点に立つ槍の大男――オスカー。
 東洋から颯爽と飛び込んだ女拳闘士――メイユエ。
 秀才とも天才とも呼ばれた学者の卵――ロバート。
 彼ら四人こそ、勇者ルイス一行としてこの王国に名を轟かせている四人なのだ。 ごく短い旅路の中で無数の伝説を打ち立て、今や国中の誰もが知る存在となっている。 ついに女王に謁見した折に、一つの使命を言い渡されたことも、勿論誰もが知っている。
「我が国の悲願……怪物どもの殲滅と、国土の奪還。彼らの働き無くしては達成できんだろうな」
「…………」
 怪物の国へ進み、怪物の王の首を取り、国土全てを再び人間たちの元へ取り返すこと。 唯一にして壮大な使命を抱えて尚、彼らはいつも通りに旅をする。
「どうしたジェイムズ、黙りこんで」
「果たして、手放しに期待して良いものでしょうか。彼らが失敗すれば、次は……」
「その時はその時だ。お前も兵士の身なら分かるだろう。……では私はこれで失礼するよ」
「はっ。お疲れ様です」
 扉が閉じ、ラルフの足音が遠ざかり、再び静かな夜が訪れた。
 今は窓を閉めているが、開ければ遠くから聞こえるだろう。 国境沿いの森で怪物たちが騒ぐ音が。 今でこそ数多くの人間に囲まれて過ごしているが、 長城の数百メートル先はもう怪物たちの領域なのだ。 それが当然の事になってから、一体どれくらいの年月が経っただろうか――


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