戻る 第14話

第15話 王に従う怪物

 ここは怪物の帝国の頂点である王城。人間の国と怪物の国の国境から遥か北西。 かつて人間がこの地に住んでいた頃、ある貴族が建てさせたと言われる城。 それが今では見る影もなく荒れ果てている。 天井も壁も床も穴だらけで、風も雨も虫も雑草も入り放題。 城門、階段、物見やぐらといった実質的な設備は修繕が進んでいるが、一見すると廃墟のままだ。

 数ヶ月前まで、この城はブタの怪物グリースィが率いる軍勢に占拠されていた。 彼らはネズミの怪物たちと同盟を組んで、それ以外の勢力を全て追い出すことに成功していた。 さらには配下に農業のノウハウを研究させて国中に広め、見返りに食料を徴収していた。 ほとんどの仕事を一人の大臣に任せていたとは言え、高い成果を上げていた。 その穏健なやり方に反感を抱く者は誰一人いなかった。

 しかし、それはあくまで政策に対しての話だ。 自分ではない誰かが王座に座っているという事実そのものを認められない者が居た。 長らく続いたその権威も、たった半日で失墜した。 トカゲの怪物アウストが仲間を引き連れて、王を罠に嵌めて城を奪い取ったのだ。

 今やこの城にはブタもネズミもいない。城の前にある広大な廃墟も同様だ。 人間の特徴を備え二足歩行するトカゲの怪物から、 地を這い壁に張り付く普通のトカゲまで、様々なトカゲがコロニー中を闊歩している。

 時は昼。トカゲたちが支配する城の一室に、人型の怪物リカレンスは居た。 黒い角、鋭い牙、そして薄ら青い肌。骨の浮いた顔が特徴的だが、その巨体は筋肉質。 右手には大きな鳥の死体。左手は素手。その鳥の肉を仏頂面で食べていた。

 ここは兵士たちの食堂として使われていた部屋だ。 人間がこの部屋を使っていた頃からあった大テーブルはバラバラに壊れている。 なので、誰とも相席にならずに静かに食事するには打って付けの小テーブルがたくさんある。

 リカレンスはかつてトカゲたちと直接争い、その後服従した新兵。 王が替わる前から正規兵であるトカゲたちとは反りが合わない。 明らかに敵視されている。今日この鳥肉を配給されたのも久しぶりだ。 普段は小鳥や虫けらのようなふざけた獲物しか回ってこない。 どうせ裏で横取りされているのだろう。 幸い数日間何も食べない程度では全く問題がない体質であり、 いざとなれば自分で狩りに行けば良いので、悩むことではない。

 本当に悩むべきは、目の前にやって来た怪物の存在だろうか。 歩く度に翼がばさばさとはためく、はた迷惑な怪物。
「おうおう、俺の前で鳥の肉を貪るとはいい度胸だなぁ?」
「お前はいつからカモになったんだ……」

 話しかけてきたのは、ワシの怪物スニア。 ワシの翼に五本の指。それに加え、すらりと長い胴体と、さらに長く伸びた二本の脚。 鼻から下唇にかけての骨が前へ飛び出ているその顔は、鳥とも人間ともつかない。 体を覆う茶褐色の毛も、羽毛より細やかだ。足先の爪も鳥のように大きく鋭い。 彼は国中を飛び回ってあらゆる情報を収集している諜報兵だ。 機動力だけでなく、遥か遠くまで見渡せるその視力は諜報に非常に向いている。 彼はトカゲではない怪物としては唯一、アウストの酔狂に王位交代よりも前から従っている。 リカレンスとしてはあまり真面目に付き合いたくない相手だ。

 スニアはリカレンスのいたテーブルの向かいに座り、持ってきたウサギの肉を食べ始めた。
「なぁ、気付いているか? 今日の配給はまともだろう?」
「そりゃあな。いつもまともな飯を寄越していたら気付かなかった所だ」

 彼と話すのは数日ぶりだろうか。話すのが数日ぶりになるのも何回目だろうか。 また何かを調べに何処かへ飛んで行かされたのだろう。 彼はいつも、玉座から動かない王に代わって、国中を西へ東へ飛び回っている。

 リカレンスも、ここ数ヶ月の間ずっと働かされている。 城の修繕、食料の調達、そして前王勢力の残党と反乱分子の殲滅。 力の要りそうな仕事にはほとんど駆り出されている。

 トカゲ男の戦闘能力は並み居る怪物たちの中でも非常に高く、 普通の者は迂闊に手出ししようとは考えない。 だが入念に準備を重ねて王の座を奪おうとしている、いわゆる反乱分子は数多く存在する。 アウストはそのような者たちを徹底的に殺して回ることに執心しているのだ。 と言っても、自分自身が手を下したことは一度も無いのだが。
「それに、例え配給が同じでも、お前のその顔を見ただけで何の用かは想像がつく」
「そうかよ。俺は元々多忙なんで、伝令の手間を一つ省いた程度じゃ何も変わらねぇがな」

 スニアはウサギの肉を次々と食い千切り、咀嚼した。
「伝令がある。……だが、少し待て」

 伝令――伝令係のトカゲ男はいるが、今日はスニアが直々に伝えに来た。 彼が城を離れていた数日間に得た情報が活用される時が来たということ。 そして、スニアをリーダーとする異種族部隊という作戦単位が動く時が来たということだ。

 ゆったりとウサギの骨にくっついた肉を啄むスニア。 とっくに食べ終えていたリカレンスは指でテーブルを叩きながら待つ。
「そうやって食べ終えるのをいつまでも待たせるつもりか」
「ああ? 違う違う、俺はあいつを待ってんだよ。全員集まってからの方が手っ取り早いしな」

 あいつ、と言えば、あいつだろう。たった今、噂をすれば影、食堂に乗り込んできた怪物。 黒茶色の毛皮、鼻が大きく前に突き出た顔、真上に立った耳、毛の広がった尻尾。 鋭い牙と、小さくも獰猛な目。そして人間のような骨格の肩や腰で二足歩行をしている。 オオカミの怪物フロードである。彼とリカレンス、スニアの三人こそがアウスト配下の異種族部隊。 トカゲではない配下の寄せ集め集団である。
「おうクチバシ野郎……ずっと姿を見ねぇから、くたばっちまったと思ったのによぉ。 憎たらしいほどピンピンしてるじゃねぇか、ああ? 失望させやがって。今ここでぶっ殺した方がいいのか?」
「なに自分のマヌケっぷりを長々と紹介してんだ。俺が何の仕事をしているか覚えておく脳ミソは無いのか?」
「泣いて敵から逃げながら、俺様に助けを乞う仕事だったよなぁ?  マヌケは貴様じゃねぇか。ぶっ殺されてぇのか?」
「お前には俺の高尚な仕事は理解できねぇか。俺の戦況報告を無視して敵陣に突っ込むしか能が無いお前には。 上官として情けねぇぜ」

 テーブルの前に立ったフロード。歯をむき出しにした直後、スニアに向かって拳を飛ばした。 スニアは座ったままの姿勢から羽ばたき、真横に跳んで避けた。
「貴様は一度ぶっ殺さねぇと解らねぇみてぇだな……上官の格を持っているのはどっちなのかをなぁ!  歯ぁ食い縛れクソ鳥!」
「格なんて関係ねぇよ。俺が上官なのは事実だろうが。 低俗なイヌの分際で……正しい尻尾の振り方から教えてやらなきゃなんねぇのか?」
「生意気なんだよクソが! いっぺん死にやがれ!」

 フロードは再び、思いっきり拳を飛ばした。 その拳はスニアの鼻頭に届くよりもずっと前に止まった。 間に割って入ったリカレンスの腕に深くめり込み、埋もれてしまっていたのだ。 無数の血管が押し潰され、血が滴り落ちる。
「俺はさっさと伝令を聞いてしまいたいんだ。邪魔するな」
「……けっ、俺様に指図するんじゃねぇよ。ぶっ殺すぞ」

 そう言いながら、フロードは数メートル離れた椅子に背を投げた。
「さぁ、早く済ませろ」
「へいへい……そんなに面白い伝令じゃねーぞ」

 再び椅子に座ったスニアに、リカレンスは尋ねる。
「今度は残党か? それとも反乱分子か?」
「クックック……どうだろうな」
「いちいち勿体ぶるな」
「反乱分子、なぁ……。 “分子”だなんてちっぽけなものなら、今まで通りにやればいいから楽なんだがな。 次の獲物は今までとはワケが違う。言ってしまえば“反乱軍”だ」

 それを聞いた二人は思わず集中した。
「軍……いよいよか」
「俺様が本気を出せる時が来たか! 全く、散々待たせやがってあのクソトカゲ!」
「次の標的は、ネズミのハーティ率いるげっ歯類コロニーの全員。一匹残らず駆除してしまえという話だ」

 ネズミの怪物ハーティ。 ブタの王グリースィと同盟を組み、恐るべき勢いで繁栄したげっ歯類コロニーの親玉。 前王勢力の残党でもあり、反乱分子でもある危険人物の一人である。 アウストの降伏命令を受け入れなかったコロニーは数あれど、 あの頭数を抱えながら反発したコロニーは他に無い。 この城の東、非常に近い場所に拠点を構えており、いつ衝突してもおかしくなかったのだが、 今までずっと不気味なほど大人しくしていた。
「……どうして今になって戦うことになったんだ。 奴らは前々からこちらと戦う準備を進めていただろう。もっと早くに叩いておくべきだったんじゃないか」
「生憎、その答えは伝令に無い。いいから作戦を聞け」
「クソトカゲの貧相な脳から出たチンケな作戦なんざ要るかよ!  正面から叩き潰して一匹残らずぶっ殺せば良いだろうか!」
「……チッ。ああ、その通りだよ。それが今回の作戦だ」

 フロードが眉をひそめ、珍しく黙った。
「明日の朝に東へまっすぐ進軍を始め、到着し次第げっ歯類コロニーを侵略する。 順調に進めば昼間には衝突することになるだろう。 参加する全ての部隊で固まって進み、真っ直ぐ本陣を叩けばいい。 ハーティの討伐に拘る必要はない。ハーティだけではなく、一匹残らず駆除することが命令だからな」

 ただ正面衝突するだけの単純な作戦。だが、あのアウストがそんな命令をするだろうか。 王座奪取に際しても周到な根回しの末の侵略作戦を計画していたあのアウストが。
「何か言いたげだな。言ってみろ」
「そんな作戦で大丈夫なのか? 確かに奴らの一匹一匹は貧弱だ。 だが体が小さい分すばしっこいし、何よりあの数は脅威だ。 さらにこちらから乗り込むともなれば、地の利もあちらにある。 得意の穴掘りで撹乱されてしまえば無傷では済まないだろう。 全軍で固まれば簡単に包囲されるし、正面だけから向かえば逃げるのも簡単だ。 そんな中で一匹残らず始末するなど簡単にはいかないぞ」
「ふむふむ、なるほど」

 大げさな動きで相槌を打つスニア。いつものいやみったらしい含み笑いは見せていない。
「……俺が伝令を任されたのは以上で終わりだ。健闘を祈る」

 言いながら、すぐにこちらに背を向けた。

 フロードがテーブルを上から殴りつけながら立ち上がった。 また一つ、大テーブルが真っ二つになって、小テーブルが増えた。
「おいコラァ! 貴様のそのふざけた態度が気に食わねぇんだよ! ぶっ殺すぞ! 今すぐぶっ殺させろ!」
「へいへい、後でな」
「待ちやがれ、クチバシ野郎!」

 フロードは足早に食堂から去るスニアの後を追おうと足を進めた。 しかしその足は突然宙を踏んだ。
「うぉわっ!?」

 頭から地面に転ぶフロード。辺りから沸き上がる嘲笑いの声。 トカゲの怪物の一人が足を引っ掛けたのだ。 他のトカゲたちに見せつけるように指差し、見下し、大笑いした。
「ケーッケッケッケ! 見ろよ、盛大に転びやがったぜ! ここが戦場なら死んでただろうなぁ!」
「ぐぐ……」
「お前、さっき王を侮辱したよなぁ?  ここはそんな不出来な奴をいつまでも置いておくほど温い城じゃねーぜ?  強い者には大人しく従ってろよ、イヌらしくなぁ!」
「…………有難い忠告どうも」

 鼻頭を押さえながら食堂を後にするフロード。 後ろからトカゲたちのバカ騒ぎがいつまでも響いていた。

 リカレンスはフロードの後を追って廊下へ出た。 フロードの足取りは重く、すぐに追いついた。
「あれでよく怒らずにいられたな。ましてやお前が」
「そんなもの……とっくにブチ切れてらぁ。 だが、あいつらなんざいつでも殺れる。今殺っても仕方ねぇ。……まだ、今じゃねぇ」

 その声は震えていた。見れば、全身の体毛がにわかに逆立っている。 背中を見ているだけなのに、その激しい怒りが透けて見えている。 そして、怒りの奥底ではっきりと形成された殺意も。

 フロードはリカレンスに語りかける。
「なぁ……お前も俺と同じなんだろう?  王への忠誠なんてこれっぽっちも無くて、不満だらけの日々を送っている」
「不満なんか無い」
「取り繕うなよ。素直になれ。自分の本能に、何がしたいのか聞いてみろ。答えはそこにある」

 廊下から外庭に出て、振り返って上を見上げるフロード。 城の屋根を見据え、震える腕を突き上げた。
「俺様はなぁ……俺様以外の誰かが上に立つってことがどうしようもなく気に食わねぇんだ。 俺様は絶対に王の座を奪う。そしてあのクソトカゲの頭を踏みつけてやる。 そのための最高のタイミングをみすみす逃しはしない。 ……勿論貴様も利用させてもらうからな。 よく覚えておけ。次に王になるのは俺様だ。他の誰でもない。この大地全てを服従させるのは、この俺様だ!」

 そう言い捨てて、フロードは城からコロニーの方へと出て行った。

 彼の怒り狂った目を見たリカレンスは後を追う気になれなかった。 その怒りに触れてしまえばタダでは済まないと思える程の気迫を感じた。 ――リカレンスだけでなく、フロード自身さえも。

 まだ日は高い。ネズミ退治は明日の朝からだ。 それまで一眠りしておかなければならない。 フロードの姿が見えなくなった後、リカレンスもコロニーの方へと出て行った。


戻る 第16話